ねねこ河童の加納家は現在も存在しているらしい・・・。(加納家に伝わる不思議な像とは・・・?)

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昔、利根川のほとりに加納新田(かのうしんでん)という所があり、そこに近隣の河童の親分衆の総元締めとして君臨していた女親分の「ねねこ河童」という河童がいた。 ある夏の終わり...…全文を見る

ねねこ河童の加納家は現在も存在しているらしい・・・。(加納家に伝わる不思議な像とは・・・?)

投稿者:ゲスト 投稿日時 2013/3/2 22:03
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本で読んで知った情報です。加納新田は、寛文期(1661~1672)に美濃国岐阜町出身の加納久右衛門によって開発されました。現在もその子孫の一族の方が住んでいるみたいです・・・。
加納家には「ねねこ河童」像というのが伝えられているそうですが、その像ははすでに紛失したという話を聞きました。また、多くの問い合わせや物見客で、加納家はたいへんな迷惑をこうむったそうです。マルコが読んだ本に加納家の電話番号と住所が載っていましたけ
ど、いいんですかねぇ・・・?

ねねこ河童のラストシーンがこれまた、マルコのお気に入りでして・・・。
何か、人情のある時代劇を見ている感じがします。

「元締め・・・何故ー、逃げなかったのでござんす。」
「すばしっこい元締めが何故ー、お逃げにならなかったんです・・」
「そそそ、それはー・・・」
「それはー・・・?」
「ややややっ!その頭は・・!?」
「おおお・・っ!?」
「そうです・・・。若者に殴られた時、頭の皿は見事に割れ・・・皿の中の水は一滴残らず・・・流れ出てしまったのです。私を捕まえるために寝たふりをしていた若者に、まんまと捕まってしまったのです・・。これでお分かりでしょう・・・。皿の無い河童は、悪事が出来ません。だから・・・元締めを辞めるのです、いや・・・河童を辞めざるをえなくなりました・・・。」
「元締め、もしやその若者が好きになったのでは?!」
「!」
「その、若者は加納新田の加納家の若旦那・・・私は河童の身の上です。。命を助けて貰ったお礼に、そこで一生働く覚悟を決めてきました・・・・。」
「元締め!」
「後は皆さんに、お任せします・・・。では、皆さん・・・!」
「元締め・・・!お達者でー・・っ!!」
後に残った親分連中はただ、 あとを見送るのみじゃった。こうしてねねこ河童は丘に上がって加納家に住み着くと、そこで一生・・・働いたということじゃ。
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