Re: 福面と小判
投稿者:ゲスト 投稿日時 2020/12/31 18:33
この話の伝えたいことというのは、「芸は身を助く」だと思った。
一見、無駄に思えること、失敗したと思えることでも、それが繋がって事態を丸く収め、人生の幸せに繋がることがある、ということだろう。
見えない運命の糸というものは確かに存在し、とんでもない幸せや、あるいは不幸を呼び寄せる。その力は合理的判断から導かれる、『あるべき結果』をいとも容易く覆す。
この爺様は現代の合理的な考えをもってすれば愚か者ということになるのだろう。
しかし最終的な結果として、十両以上の沢山の小判、お米、趣味のお面、その全てを手に入れたのは、その愚か者の爺様である。
爺様には現代人には推し量れない「幸福を手繰り寄せる力」があったのだろう。
一見、非合理と思える行動が幸運を呼び寄せることがある。
これはそういう話で、もし教訓があるとしたら、そうしたことだ。
ついでにもう一つ付け加えるなら、
「丸く収まった」とみるか、
「丸く収まっているように見えるが収まってない」とみるか、
それはその人の気持ち次第であり、
その先を幸せな気持ちで送るのか、不幸な気持ちで過ごすのかは、心持ち次第ということだ。
運命の大きな波が、理屈は何だかよく分からないが、大きな幸せを運んできたなら、それを単純に享受し喜べばよい。
爺様の行動が合理的じゃなかったから離婚するって?
なぜ、大きな幸運が来たのに、自らを不幸とみて苦い道を選ぶのか。
そうじゃない、そうじゃないんだよ、この話は。
私たちは全知全能ではないから、時に他人の行動が理解できないこともある。
けど、それが自分に良い結果をもたらしたのならば、それに対してケチを付ける必要は無いって。
だって、もうそれは終わって結果が出たことなのだから。
そこからケチを付けても物語に無意味で不幸な出来事を無駄に追加するだけ。
結果が出たことについて、直感や霊感に従って行動を起こした人を、責めてはいけない。
この話に2つ目の教訓があるとすれば、そういうことじゃないかな。
大らかで広い心を持つことが幸せへと繋がる、そういうことだと思う。