昔、山に囲まれた宮城のある村に兵吾(ひょうご)とお静(おしず)という百姓夫婦が住んでいた。二人は仲が良かったが何故か子供に恵まれなかったため、兵吾は毎日近所の子供を集め一緒に遊び、お静は子供達の様子をそっと見守っていた。
しかし本当は自分の子供が欲しくてやまない二人は、ある時子供をくれる奇特な人を探そうと寺池の城下町へ朝早く出かける事にした。二人が山道を歩き続けると枯れた杉林の中に一本だけ緑の葉を付けた大きな古木があり、お静はそこでほどけた草鞋(わらじ)の鼻緒を結び直した。
そうして日もだいぶ高く昇った頃、二人はようやく寺池の町に着いた。二人は賑やかな町中を歩き回り、どこかに子供をくれるような良い話に出会えぬものかと探し歩いた。ところが二人には見る人会う人が遠い他人に見え、とうとう一言も声をかけられぬまま日が暮れ始めた。
疲れた二人にとって帰り道はとても苦しい道のりであり、山道にさしかかる頃には日はすっかり暮れていた。そのうち往きにお静が鼻緒を結び直した杉林の中の古木まで来ると、二人はその根方に腰を下ろししばし無言で体を休めた。すると古木の根元から六本の子杉が生えているのがお静の目に映り、お静は杉の木でさえ沢山の子供を持つのに自分達には一人も子供ができない事を酷く嘆いた。
お静は悲嘆の末親杉にすがり付くと、どうか自分達にも子が授かるよう兵吾と共に震える声で一心に杉に向かってお願いした。そしてその願いが天に通じたのか明くる年の夏、お静はめでたく男の子を産んだのである。二人の喜びようは天にも昇るほどで、近所の子供も大人も大喜びで毎日赤ん坊を見にやって来た。
杉の木に深く感謝した二人はこの古木を神様の木として敬い、すぐ側に観音様を祀った。この話が村から町に言い伝えられると、いつの間にかこの杉は「子持杉」と名付けられ、子供の欲しい人がはるばるやって来て観音様にお願いする事が多くなったという。
(投稿者: お伽切草 投稿日時 2013-11-20 15:20)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 東北農山漁村文化協会(未来社刊)より |
出典詳細 | みちのくの民話(日本の民話 別1巻),東北農山漁村文化協会,未来社,1956年06月10日,原題「子持杉」,原文「宮城県登米町の吉田正」,話者「宮城県仙台市東北大付属小学校教諭の富田博」 |
場所について | 針田の子持杉(登米市登米町小島西針田67) |
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