むかしむかし、山口県の厚狭(あさ)という村に大金持ちの庄屋がおって、太郎という寝るのが大好きな息子がおった。太郎は三年三月も寝て過していたので、村人達は寝太郎と呼んで馬鹿にしておった。
ある日寝太郎はふと眼を覚ますと、庄屋に千石船を造ってくれと頼んだそうじゃ。寝太郎があんまり熱心に頼むので庄屋が千石船を造ってやると、今度は千石船一杯の草鞋を買って船に積み、水夫を7、8人雇ってくれと言う。庄屋が訳も分からずそのとおりにしてやると、寝太郎は大喜びで水夫達と船に乗り出発していったそうな。船がどこへ向かうのか、水夫達にも庄屋にもさっぱり分からなかった。
船は西へ向かい、早鞆瀬戸(はやとものせと)を通り玄界灘へと入って行った。そこから進路を北東に変え、日本海を突き進むと、やがて前方に島影が見えてきた。そこは佐渡島じゃったそうな。
「履き古して汚れた草鞋と、船に積んである新しい草鞋をただで取り換えてあげよう。」寝太郎は佐渡島に上陸すると、島の人達にそう言って回った。すると大勢の人が集まり、たちまち千石船は古い草鞋で一杯になった。こうして寝太郎は千石船を古い草鞋で一杯にして厚狭に帰って来た。まあ、村では馬鹿者扱いじゃったと。
ところが、寝太郎は今度は大きな桶を造ってくれと庄屋に頼んだそうな。庄屋が大きな桶を造ってやると、寝太郎は若い衆に桶に水を一杯にはらせ、その中に持ち帰った古い草履を全て放り込み、丁寧に洗いすすがせた。
そうして綺麗になった草鞋を一つ一つ桶から取り出し、桶の水を上から掬いあげさせた。すると桶の底にたくさんの土が溜まっておって、なんと、土にはたくさんの砂金が混ざっておったそうな。
当時、金山として名高かった佐渡島からは一握りの土でも持ち出すことが禁じられていた。それで寝太郎は、どうすれば佐渡島から土を持ち出せるのかを寝ながら考えていたのじゃった。こうして得たお金で、寝太郎は厚狭の河口沿いの海を埋め立て、千町田という広い水田地を造ったということじゃ。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2013-6-2 17:15)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 松岡利夫(未来社刊)より |
出典詳細 | 周防・長門の民話 第一集(日本の民話29),松岡利夫,未来社,1960年09月14日,原題「厚狭の寝太郎」,採録地「厚狭郡」,話者「小野一夫、堀山久夫、坂田嘉代子」 |
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場所について | 寝太郎荒神社 |
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