昔、どん兵衛という楮(こうぞ、和紙の原材料の樹木)買いの男が、かかあと5人の子供たちと貧乏暮らしをしていた。このどん兵衛さん商い下手なうえにお人よしときていたもので、いつも商売はうまくいかなかった。
そんなある日、どん兵衛は商いの帰りに立ち寄った明神様の祠の前で、一休みしていた。すると、明神と名乗る狐に呼び止められ「自分にお供え物をしてくれたら、秤の分銅に化けて目方をごまかし、儲かるようにしてやる」と言う。それならばとどん兵衛は、毎日お狐様に握り飯を三個ずつお供えすると約束した。
お狐様のおかげで、どん兵衛一家の暮らし向きもだいぶ良くなってきたころ、お狐様が嫁を貰い受ける事になった。どん兵衛は嫁狐の分の握り飯もお供えすることで、もう少し儲けさせてもらい、またちょっと金持ちになった。
その年の差し迫ったある日、狐は「嫁との間に九匹の子が生まれたので、お供えの握り飯を三十三個に増やせ」と言った。楮問屋にしてやると狐が言うので、どん兵衛は思わず狐の子や孫まで面倒をみると約束してしまった。商いは益々うまくいき、どん兵衛は毎日ちょっとずつ贅沢をするようになっていった。
そんなある夜のこと、楮問屋に出世したどん兵衛のところへまた狐が現れた。子供が片付いて孫が生まれ、計百一匹の大所帯だから、今度から毎日三百三個の握り飯を持ってこいとのことだった。さすがにもう面倒は見きれないと、その晩から病みついて寝込んでしまったどん兵衛はとうとうかかあに今までのことを全て打ち明けた。そして、次の四代目の狐たちの分も含めた握り飯二千七百個を供えてお祓いし、身代をそっくりそのまま明神様に返す決心をした。
その後、どん兵衛は元の貧乏暮しに戻ったが、今の暮らしに何だか温かいものを感じ、優しいかかあと元気な子供たちのために、相変わらずお人よしで商い下手ながらも、足を棒にして山里を歩き回ったということだ。
(投稿者: kokakutyou 投稿日時 2012-6-24 17:17 )
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 松岡利夫(未来社刊)より |
出典詳細 | 周防・長門の民話 第一集(日本の民話29),松岡利夫,未来社,1960年09月14日,原題「分銅狐」,採録地「都濃郡」,話者「藤井平蔵、内藤豊」 |
場所について | 玖珂と都濃境の山奥の村(須万村、地図は適当) |
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