伊豆の民話(未来社,1957年11月25日)に、同タイトル名のお話があり「このお話かもしれない」ということであらすじを書いてみます。
むかし、天城の狩場に早撃ちの新と呼ばれる狩人がおり、獲物の群れを見つけると、続けざまに撃って逃げる隙も与えないほどの腕前でした。新の小屋は深い山間にあり、おかみさんと赤ん坊と狩犬とで暮らしていました。犬の名前はたろ丸といい、主人の言うことは何でもよく分かる利口な犬でした。また、主人が道に迷った時なども自分の小屋の方角を知っていて、主人を案内するのでした。
或る時、新のかみさんが病気になり、山奥のことでもあって、医者にかかれないまま、亡くなってしまいました。新は小屋のほとりにかみさんの墓を作り、菩提を弔いました。これからは赤ん坊を一人でみなければなりません。新はたろ丸に言いました。「たろよ。今日は留守してくりょう。赤のそばについててくりょうよ。俺が帰ってくるまで、どこにも行かずに、赤のそばで守りをしてくりょうよ」たろ丸は尻尾を振って、赤ん坊のそばにジッと寄り添いました。そして、心得た顔つきで、赤ん坊のよだれの垂れたアゴの辺りをペロリと舐めてやったり、ときどき外の物音に耳を澄ませたりする様子でした。それを見た新は「ほんのしばらくの間だから」と言って小屋を後にしました。
ところが、思いもかけないことから狩りは三日もかかってしまいました。獲物を追って足を滑らせ、深い谷へと落ちてしまったのです。気が付いた時には辺りは真っ暗で、星が瞬いていました。「こりゃあ、困ったことになった」と、新は赤ん坊やたろ丸のことが心配でたまりません。体を起こそうとすると、腰を強く打ったと見えて、立ち上がることもできず、それでも重い体を引きずって、谷川の水でノドを潤しました。少し動いたせいか、腰の痛みも激しくなり、その日は谷を上がることもできずに過ごしました。その次の日は鉄砲を杖にして立ち上がり、一歩あるいては休み、二歩あるいては一息入れ、やっと、谷底から這い上がった頃にはもう夕方になっていました。
でも、新は元気を出しました。谷底から這い上がることができれば、後は小屋までの杣道。鉄砲を杖にして行けば、いくらかは苦しくても、何とか帰り着くことができる。新は待たせている赤ん坊とたろ丸の身を案じながら、力を振り絞って、ようやく小屋へとたどり着くことができました。しかし、小屋の様子はひどい有様で、戸は押し倒され、辺りには点々と赤い雫が落ちています。よく見ると、それは血の跡でした。その時、薄暗い小屋の中から、のそりと物の動く気配がしました。目を凝らすと、そこにはたろ丸がいました。いつもなら、駆けてきて飛びつくのに、何か様子が変でした。たろ丸の口元を見ると赤く、体中にも赤い血でまみれていました。
それを見て、新はハッとしました。「おのれ。三日も留守にしたで、空腹に耐えきれず、赤を食うたな」と叫ぶや否や、自分が杖にしていた鉄砲を握りしめ、いきなりたろ丸の頭へと打ちおろしました。たろ丸は低くうめいて倒れ、ヒクヒクと手足を震わせました。その時、小屋の隅の方で赤ん坊の泣く声がしました。見ると、赤ん坊のカゴが隅に押し付けられており、その中で赤ん坊が愛らしい口元を大きく開けて泣いていました。そして、そのカゴのすぐ近くには二匹の山犬が転がっており、噛み裂かれた血まみれの姿で死んでおりました。たろ丸は主人の子を守って、山犬と戦い、倒していたのでした。
新はオオウと呻いて、たろ丸に駆け寄り、抱きしめました。たろ丸は山犬との戦いで深手を負い、新の一撃ですっかり事切れてしまっていました。その後、新はふっつりと狩人をやめて、里に下りました。「おらぁ、犬にも劣る人間よ」会う人ごとに、新はこういって涙を落としたということです。
(投稿者: araya 投稿日時 2011-12-20 1:55 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 岸なみ(未来社刊)より |
出典詳細 | 伊豆の民話(日本の民話04),岸なみ,未来社,1957年11月25日,原題「たろ丸の話」,採録地「湯ヶ島長野」 |
場所について | 静岡県伊豆市湯ケ島長野(地図は適当) |
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