秩父の山の中で、ある時酷い嵐が何日も続いた。暴風雨は秩父のある峠に生えていた、老いた赤松の古木を根元からなぎ倒してしまった。
嵐がおさまってしばらくしてからの事、峠を歩いていた旅人が急に腹痛に襲われ、動く事も出来ずに苦しんでいた。すると、突然旅人の目の前に緋の衣をまとった背の高い年老いた僧が姿を現わし、手にした拭子で旅人の腹を優しく撫で、低い声で祈祷を始めた。すると、旅人の腹痛は嘘のように消し飛んでしまった。
旅人からこの話を聞いた麓の村人たちは、我も我もと峠に押し掛けて「歯が痛いので治して下され」「腰が痛いので治して下され」と祈願した。すると、あの時と同じように緋の衣の僧が現れ、祈祷をあげて痛みを取り除いてくれた。
この噂を聞いた旅の山伏が、「恐らくそれは狐狸の類に相違ない」と決めつけ、退治してやろうとその峠を訪れた。折り良く村のおばあさんが歯痛で苦しんでおり、そのおばあさんのお伴をすればきっと僧に逢えるだろう、と言われた山伏はおばあさんと共に峠で僧を待った。
やがて夜になり、おばあさんの目の前にあの僧が現れて祈祷を始めた。その様子を見て居た山伏は、祈祷を始めた時に僧の目が不気味に光ったのを見て恐ろしくなり、咄嗟に手にした金剛杖で僧をしたたかに打ちのめした。すると僧の姿は忽然と消え、まばゆい光が辺りを照らしたかと思うと直ぐに静かになった。後には赤松の堅い皮の破片がぼたぼたと落ちているだけだった。
その後、あの僧の姿を見た者は無かった。ただ、峠の根こそぎに倒れた赤松の朽ちかけた幹に、金剛杖で抉られたような真新しい傷跡が残されていたそうな。
(投稿者: 熊猫堂 投稿日時 2014-1-8 7:40)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 根津富夫(未来社刊)より |
出典詳細 | 埼玉の民話(日本の民話57),根津富夫,未来社,1975年05月20日,原題「法力」,採録地「皆野」,話者「山口槌男」 |
場所について | 赤松坊が現れたのは栗谷瀬橋の上を通る尾坂という峠道付近(出典本より) |
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