昔、福岡の宗像での話じゃ。
宗像大宮司氏国が片脇城を築城した折、人手が足りないので藁人形を作って手伝わせた。藁人形は不眠不休飲まず食わずで働いたので、城はみるみるうちに完成した。氏国は大変喜んで、悪さをしないことを条件に藁人形達が自由に暮らすことを許したのじゃ。そこで藁人形達は釣川の流れに乗って城内に散っていくことにした。
ところが暑い夏の盛りのこと、川の中でキュウリを食べて喉を潤した藁人形達は、河童になってしもうた。河童達は釣川、手光、江口でそれぞれ一家を構えて名乗りをあげた。こうして宗像の河童が生まれたのじゃ。
ところが日が経つにつれ、河童達は人間に悪さをするようになった。怒った氏国は、年を取って世故に長けた釣川の長太郎河童を呼び出し、悪さをする河童を懲らしめるよう言いつけた。じゃが、数が多く乱暴な手光の権十一家を懲らしめるのは厄介なことじゃった。困った長太郎河童は、手光の籐兵衛という庄屋を訪れ相談した。
知恵者の籐兵衛は女将に蓖麻子油(食あたりの薬)を買いにやらせ、籐兵衛が腹痛で厠につきっきりじゃという噂を流した。それを手光の河童達が聞きつけたのじゃ。
早速、手光の権十は籐兵衛の尻を抜いてやろうと、庄屋の雪隠の下に潜った。夜遅く、籐兵衛が厠に入ってくると、権十はここだとばかりに籐兵衛の尻に手を伸ばした。ところが、これが籐兵衛の狙いじゃった。あっという間に籐兵衛の小太刀が権十の腕を切り落とした。権十が逃げ去った後には、雪隠の床に藁でできた片腕が落ちておった。
翌日、籐兵衛と長太郎河童が祝杯をあげていると、藁人形姿の手光の権十が現れた。権十が腕を返してくれと平謝りに謝るので、籐兵衛と長太郎河童は二度と人間に悪さはしないと約束させて、腕を返してやった。藁人形の権十が腕をつけると、たちまち手光の権十河童に戻った。
こうして、釣川の長太郎河童は宗像一帯の河童の総元締めになった。それからは、宗像の河童はけして悪さはしなくなったそうじゃ。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2012-4-5 21:15 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 上妻国雄「宗像風土記」(西日本新聞社刊)より |
出典詳細 | 宗像伝説風土記 下巻,上津国雄,西日本新聞社,1978年04月16日,原題「釣川の長太郎河童」 |
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