昔、美濃の国の全昌寺(ぜんしょうじ)という禅寺がありました。全昌寺は大変修行の厳しいお寺でそんな辛い修行の中でも特に辛かったのは食事でした。
弟子は増えて も食事に使われる米の量は決まっていたので、弟子が増えるに従って食事は天井が写ってしまうほどの薄い粥になり、お弟子さんはそれを誰ともなしに「天井粥」と呼んでおりました。そしてそんな天井粥を食べ続けるうちにお弟子さんはみんな歯を弱らせてしまい、歯痛に苦しむお弟子さんは増えていきました。
その寺で修行する禅栄(ぜんえい)さんというお弟子さんは、歯茎が腫れて酷く痛むようになりました。歯痛をこらえるのも修行のうちだと思った禅栄さんは歯が痛いのを誰にも相談せずにいましたが、それは日に日に悪化して痛みは全身におよび眠ることも出来なくなっていきました。
それでも修行に参加していた禅栄さんですが、あまりの苦痛に座れなくなり、座禅を組む修行中に和尚さんの居ない隙をついて仏の前座に置かれている箱型の前机の中に入って声をころして痛みをこらえていました。
戻ってきた和尚さんは、禅栄さんが居ないことに気づくとすぐに探し出すように言いつけましたが結局その日、禅栄さんが見つかることはありませんでした。
翌 日、仕事に使う道具を出そうと和尚さんが前机を開くと、そこには歯痛に苦しみぬいて息絶えた禅栄さんがいました。禅栄さんの手を開くと遺書があ り、自分を地蔵として祀って歯痛に苦しむ人の役に立ちたいと書かれてありました。和尚さんはただちに石工を呼んで地蔵を作らせ、丁寧に弔いました。
そ の地蔵に自分の使っている箸を供えて祈ると、歯痛がなくなったのでその噂は遠くまで広がり沢山の人々がやってくるようになりました。そして、人々がお礼と してお腹を空かせて死んだ禅栄さんのために「みたらし団子」を供えるようになったので、誰ともなしに「みたらし地蔵」と呼ぶようになったということです。
(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-9-10 16:18)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 赤座憲久(未来社刊)より |
出典詳細 | 美濃の民話 第一集(日本の民話51),赤座憲久,未来社,1973年09月10日,原題「天井がゆとみたらし地蔵」,採録地「大垣市」,話者「不破賢孝」 |
場所について | 全昌寺(ぜんしょうじ) |
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