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No.0844
どうらくをなおすいしゃ
道楽をなおす医者

放送回:0530-A  放送日:1986年01月11日(昭和61年01月11日)
演出:フクハラ・ヒロカズ  文芸:沖島勲  美術:吉田陽子  作画:フクハラ・ヒロカズ
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あらすじ

昔、千葉の市原の村はずれにでっかいケヤキの木があり、そのすぐ隣に空き家があった。いつしかその空き家に一人の医者が住みついた。「萬診療所」という看板を空き家の前に立てかけた医者のことは、すぐに村中の評判となった。医者は村人たちに「自分はなんでも治す医者だ」とそう告げた。

この医者はろくに金も取らずに村人のことを見てくれるので、いつしか村人たちはこの医者のことを頼りにするようになった。

ところでこの村の庄屋の息子は大変な道楽息子で、毎晩家の金を持ち出しては、山を一つ越えた町まで遊びに行き、朝帰りをしているのであった。ある夜、夜遊びの帰りに馬にけられて足をけがした息子は、この医者の治療を受けた。息子は医者の治療が良かったのか、けがが回復するとまた夜遊びに出かけるようになった。

ある日夜遊びで朝帰りしたところを、父親である庄屋に見つかってしまった。怒った庄屋は息子をまた医者の所へ連れてきて、息子の道楽を直してほしいと頼んだ。医者は息子に医者の家の隣のケヤキの木に登るように言った。息子がいくら登っても、医者はもっと高く登れと言って許してくれない。

とうとうてっぺんまで登らされ、いい加減おろしてほしいと頼む息子に医者は「ケヤキの枝を手にしている、おまえの手を離せ」と言った。「そんなことをしたら、落ちて死んでしまう」と息子は言ったが、それを聞いた医者は「枝もお金も同じだ。簡単に手を離してはならない。これからはお金も大事にするか」と、息子に聞いた。息子はこれからはお金を大事にすると答えたので、医者は息子をケヤキの木から下ろしてやった。

それから息子は夜遊びをすることもなくなり、家のこともよく手伝うようになった。そしてこの医者は道楽もなおす医者と評判になり、遠いところからもこの医者に診てもらおうという人たちであふれて、大変繁盛したということである。

(投稿者: カケス  投稿日時 2013-10-27 12:50)


ナレーション市原悦子
出典高橋在久(未来社刊)より
出典詳細房総の民話(日本の民話26),高橋在久,未来社,1960年05月15日,原題「道楽をなおす医者」,採録地「市原郡」,原話「市原郡誌」
場所について市原市永吉115番地 (平野神社)永吉欅木があった場所
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地図:市原市永吉115番地 (平野神社)永吉欅木があった場所
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※掲載情報は 2013/10/27 13:16 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ケイ  投稿日時 2021/9/15 13:16
庄屋の若旦那が遊びに毎夜行っていた茶屋は、木更津あたりでしょうか。
アーリアジャスール2世  投稿日時 2019/3/23 10:50
子供の頃、結構好きだった話の一つ。道楽なんかしちゃダメみたいなテーマもよかったし
yassan  投稿日時 2019/2/21 12:25
情報提供ありがとうございました。おそらく同一の話と思われますので、市原市永吉115番地の平野神社にピンを立てました。
Perenna  投稿日時 2019/2/20 22:41
この昔話は、大正5年に出版された「千葉県市原郡誌」に、次のように書かれていました。(コマ番号258/760)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951002/234?tocOpened=1

「医者の頓智
或所に馬鹿でも道楽者でも何でも直すと云ふ評判の医者があつた、或時一人の親爺が伜を連れて来てどうも内の伜は道楽で困るから先生どうか一つ御療治を願ひたいと云つた、医者は宜しい庭へ回れ、言はるゝまゝに庭へ回ると大きな欅(けやき)の木があつた、医者は其れへ登れと云ふ、変な事を云ふ先生だと思つたが其のまゝ道楽息子は上つて行くと掴(つかま)へて居た枝で次第次第に撓(た)るんで折れさうになつた、息子は顔を青くして助けて呉れ助けて呉れ、医者は落ち着きはらつてお前が今枝を掴(つか)んで居る様に金を大切に掴んで居る気になるならば助けてやる、道楽息子も命は欲(ほし)いと見えて医者の云ふことを聴(きい)た。」

市原郡のケヤキについては、同じ本の435ページ(コマ番号234/760)に「名木」(めいぼく)として「永吉欅木」が紹介されています。
「市原郡市東村永吉、平野神社境内にありて大きさ六丈幹の空洞六七人を容るの大木たり此木は名木として上総国誌稿に載せらる。」

平野神社は、現在の市原市永吉115番地(字平野)にあるらしいです。
この昔話に出てくる「市原の村はずれにあるでっかいケヤキの木」は、はたして平野神社の「永吉欅木」と同じものだったのでしょうか?

ぬこ  投稿日時 2017/2/25 9:46
フクハラねこが飛ばされない珍しい回です。
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