昔、千葉の市原の村はずれにでっかいケヤキの木があり、そのすぐ隣に空き家があった。いつしかその空き家に一人の医者が住みついた。「萬診療所」という看板を空き家の前に立てかけた医者のことは、すぐに村中の評判となった。医者は村人たちに「自分はなんでも治す医者だ」とそう告げた。
この医者はろくに金も取らずに村人のことを見てくれるので、いつしか村人たちはこの医者のことを頼りにするようになった。
ところでこの村の庄屋の息子は大変な道楽息子で、毎晩家の金を持ち出しては、山を一つ越えた町まで遊びに行き、朝帰りをしているのであった。ある夜、夜遊びの帰りに馬にけられて足をけがした息子は、この医者の治療を受けた。息子は医者の治療が良かったのか、けがが回復するとまた夜遊びに出かけるようになった。
ある日夜遊びで朝帰りしたところを、父親である庄屋に見つかってしまった。怒った庄屋は息子をまた医者の所へ連れてきて、息子の道楽を直してほしいと頼んだ。医者は息子に医者の家の隣のケヤキの木に登るように言った。息子がいくら登っても、医者はもっと高く登れと言って許してくれない。
とうとうてっぺんまで登らされ、いい加減おろしてほしいと頼む息子に医者は「ケヤキの枝を手にしている、おまえの手を離せ」と言った。「そんなことをしたら、落ちて死んでしまう」と息子は言ったが、それを聞いた医者は「枝もお金も同じだ。簡単に手を離してはならない。これからはお金も大事にするか」と、息子に聞いた。息子はこれからはお金を大事にすると答えたので、医者は息子をケヤキの木から下ろしてやった。
それから息子は夜遊びをすることもなくなり、家のこともよく手伝うようになった。そしてこの医者は道楽もなおす医者と評判になり、遠いところからもこの医者に診てもらおうという人たちであふれて、大変繁盛したということである。
(投稿者: カケス 投稿日時 2013-10-27 12:50)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 高橋在久(未来社刊)より |
出典詳細 | 房総の民話(日本の民話26),高橋在久,未来社,1960年05月15日,原題「道楽をなおす医者」,採録地「市原郡」,原話「市原郡誌」 |
場所について | 市原市永吉115番地 (平野神社)永吉欅木があった場所 |
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