若松の高塔山の頂上には昔澄んだ水が湧きだす池があり、そこには沢山の河童が住んでいて、縄張りを巡って骨肉の争いを繰り広げていた。
ある年、一滴も雨が降らない酷い日照りが一帯を襲った。多くの池や川の水が干上がったが、高塔山の池だけは満々と水を湛えていた。この、残されたたった一ヶ所の水、高塔山の池の水を巡り、日頃諍いの絶えなかった河童達が大戦争を始め、麓の村も巻き添えを喰って酷い被害を被った。
この噂を聞いて、堂丸総学と言う山伏が若松の地を訪れた。彼は過去に別の土地の悪い河童をヘチマの葉に封印した事があり、苦しむ人々の為に高塔山の河童も自らが封じようとやって来たのだった。
村の鍛冶屋に無理を言って1尺(約30㎝)の大きな鉄釘を作らせた総学は、その足で高塔山に登り、山頂にある地蔵像の前に座って、河童封じの祈とうを始めた。「我が祈りが天に通じ、地蔵の背にこの釘が立った時、河童の命を地の底に封じ給え!」
これに驚いた河童達は、総学の祈りを辞めさせようと、美女になって誘惑したり、金銀財宝を見せつけたり、挙句には大蛇や大河童に変じて総学を襲ったりしたが、総学は動じずに祈り続けた。
そして満願の日・・・祈りの日々に疲れ果て、意識が遠のきそうになったまさにその時、総学の目の前に立つ地蔵像の背がたった一ヵ所だけ、豆腐のように柔らかくなっているではないか!気合いと共に釘を地蔵像の背につき立てる総学。次の瞬間、周囲で総学に襲いかからんとしていた河童達は、1匹残らず姿が消えて居た。
こうして、高塔山の水は麓の村人達のものとなり、村々に平和が訪れた。今でもこの地蔵像の背には釘が刺さったままになっているが、参拝客が「釘が抜けて河童が戻って来はしないか」と心配して釘をさすって行く為、つるつるに丸くなっているのだそうな。
(投稿者: 熊猫堂 投稿日時 2012-11-4 1:28 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 水上平吉(偕成社刊)より |
出典詳細 | 福岡県の民話(ふるさとの民話15),日本児童文学者協会,偕成社,1979年10月,原題「かっぱ地蔵」,採録地「北九州市」,再話「水上平吉」 |
現地・関連 | お話に関する現地関連情報はこちら |
場所について | 福岡の若松の高塔山(高塔山公園) |
このお話の評価 | 9.00 (投票数 7) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧