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No.0688
えさしのとっくりいわ
江差のとっくり岩
高ヒット
放送回:0431-B  放送日:1984年02月18日(昭和59年02月18日)
演出:大竹伸一  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:大竹伸一
北海道 / 写真あり ) 24468hit
あらすじ

昔、江差の浜に、おりん婆(折居婆)という婆様がいた。おりん婆は生まれ育った江差の浜をこよなく愛していたが、歳をとるにつれておかしなことを言うようになった。

空を流れる雲を見て、雲の流れが変だ、色が変だ、形が変だから、長雨が続いたり魚が捕れなくなったりして悪いことが起きるかもしれないと毎度のように言うものだから、村人は「おりん婆は歳をとって頭がおかしくなったのに違いない」と皆してのけ者にするようになった。

それからしばらくして江差では1ヶ月、雨が続いた。それから雨がやむことはなく2ヶ月も雨が続いた。

作物は雨のせいで全て枯れてしまい、魚も沖に行ってしまって漁が出来なくなり、村人は食料も薪も何も貯めることができないまま、冬になってしまった。おりん婆は一心に鴎島(かもめじま)に向かって「おらはどうなっても良いから助けてください」と祈り続け倒れてしまった。

おりん婆がふと目を覚ますと、鴎島から光が出ていた。その光に導かれるようにおりん婆が鴎島に向かうと、島では一人の老人が焚き火をしていた。老人はおりん婆を見て、「村からのけ者にされているのに、村を救いたいのか?」と尋ねた。おりん婆は「おらはどうなってもいいから村を助けたい」と言い切った。

その心根にうたれた神様は、徳利(とっくり)を授けて姿を消した。おりん婆は言われたとおり、江差の浜で徳利の中身を海に流し込むと、大量の鰊(にしん)が浜に現れた。こうして、村人は救われたのだった。

しばらくして、鴎島の前に徳利を逆さまにしたような岩ができた。それと時を同じくしておりん婆も姿を消してしまった。村人はあれは、おりん婆の化身だと言い合い、長い間のけ者にしてきたことを悔いて、そのとっくり岩を大切に扱うようになった。

今でも江差の浜には大漁の鰊が浜にやってくるということだ。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-6-20 0:23 )


参考URL(1)
http://www.hokkaido-esashi.jp/kankou/kamomejima/top.htm
ナレーション常田富士男
出典坪谷京子(偕成社刊)より
出典詳細北海道の民話(ふるさとの民話6),日本児童文学者協会,偕成社,1978年9月,原題「江差のとっくり岩」,採録地「檜山郡江差町」,再話「坪谷京子」
現地・関連お話に関する現地関連情報はこちら
場所についてかもめ島のとっくり岩(鴎島の瓶子岩)
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地図:かもめ島のとっくり岩(鴎島の瓶子岩)
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※掲載情報は 2012/6/20 2:37 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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ゲスト  投稿日時 2015/9/1 16:39
姥神大神宮の由来

姥神大神宮の創立は不詳ながら昔から伝わる一つの伝説に始まります。
ある日、どこからともなく一人の姥(うば=おばあさん)が江差へやって来て、津花の地に草庵を結びました。当時、蝦夷地は冷涼で作物もあまりとれず、餓死する者も出る状況だったと云われています。そんな中で姥は、天変地異を事前に知らせることで人々から神様のように敬われ、折居様と呼ばれるようになりました。とある夜、神島(カムイシリ=今の鴎島)から虹のような光に草庵が照らされました。不思議に思い、尋ねてみると、白髪の翁(おきな=おじいさん)が岩の上に座り「汝の来たれるを待てり。機、正に熟せリ」と言って、小瓶を与え「この瓶中に水あり、之(これ)を海中に点ずれば鯡(ニシン)といふ小魚群来するに至るべし、之を以(もっ)て島人の衣食住の資(たすけ)とすべし。吾汝と共に島人を永く護らん」と告げて焚火と共に消えました。
折居様が教えられたように、瓶子の水を海中に注ぐと、海水が白色に変わりニシンが群来して人々を飢えと寒さから救ったと云われています。やがてこの折居様も草庵に五柱の御神像(天照大御神、天児屋根大神、住吉三柱大神)を残したまま姿を消しますが、人々は姥にちなみ「姥が神」として祠を建てて祀り、後に初代藤原永武がこれに奉仕しました。その後、本道にはニシンが群来するようになり、「白金寄する」地として年々本州より人々が渡って江差は経済の中心となり、姥神大神宮は北海開祖神とも陸奥国松前一の宮とも云われるようになりました。正保元年(1644年)には津花の地から現在地に遷宮し、渡御祭はこの頃から行われたと考えられています。文化14年(1817年)には朝廷にて119代光格天皇御下、上卿唐橋大納言列座の下、10代相模守従五位下大神主藤枝政光が召されて、正一位の位記と大神宮号をすすめられました。また神職は代々豊後守、相模守に任ぜられ従五位下に叙せられています。
http://www.hokkaido-esashi.jp/modules/sightseeing/content0032.html
ゲスト  投稿日時 2015/9/1 16:30
瓶子岩(へいしいわ)
瓶子岩 今から500年もの昔、様々な予言をするひとりの姥がおりました。あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられ、姥は人々から折居様と呼ばれ神のようにうやまわれていました。毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」では、町内の若者たちによって全長30mにおよぶ〆縄がかけられます。
http://www.hokkaido-esashi.jp/modules/sightseeing/content0002.html
KK  投稿日時 2013/2/19 20:55
久しぶりにINです。この江差は、社会で習ったんですが、アイヌ民族が鰊を大量にとってた所だそうです。
ゲスト  投稿日時 2012/6/21 1:53
今から350年くらい昔、江差の町の津花の浜にいた「折居さん」という老女の話、だそうです。
ニシンを「鯡」と書いたりするのは、ニシンは魚に非ず米なり、というほどの願いが込められていて、米のとれなかった蝦夷地の切ないくらいの願望であった。
(引用:日本の民話(第01巻北海道)研秀出版から)
araya  投稿日時 2011/11/16 23:57
江差の向かいのカモメ島とのことで鴎島。そして、トックリ岩というのが瓶子岩とのこですので、参考URLと座標を記しておきます。

http://www.hokkaido-esashi.jp/kankou/kamomejima/top.htm

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