むかし、豊根の御大尽の家にそれはそれは見事な黒駒が一頭飼われていた。御大尽は黒駒をたいそう自慢にしており、黒駒の好物の酒を毎日のように与えていた。
ある日、噂を聞きつけた隣国の殿様がやってきて、御大尽の前に宝物を並べて黒駒と交換してくれるよう頼んだ。しかし、御大尽はどんな宝にも首を縦にはふらなかった。二人のやりとりを見ていた黒駒はいきり立ち、ついには宝物の山を蹴散らして、屋敷の塀を軽々と飛び越えて逃げ出した。
御大尽は輿を仕立てて使用人に担がせ、黒駒を探しに出かけた。「御園の方から凄い勢いで長畑の方に飛んで来て、あっという間に西へ飛んでいった黒いものを見た」という話や、「黒いものが鴨川を越えて飛んでいった」という話を聞き、それは黒駒に違いないと、一行は夜も碌に眠らずに西へ向かった。
やがて鞍掛山の麓で一行は「山の洞窟の中から恐ろしい唸り声がする。」という一人の樵に出会った。「それこそ、わしの黒駒じゃ。」御大尽は樵を雇い、黒駒を洞窟からおびき出して捕まえることにした。
御大尽は洞窟の入口に酒樽を置き、黒駒が出てくるのを待った。やがて、洞窟の暗闇の中から黒駒が姿を現した。喉を鳴らして酒を飲み始めた黒駒に、樵が縄を放った。しかし、黒駒は恐ろしい力で縄を引きちぎり、また姿を消してしまった。御大尽も使用人も疲れ果て、その日はそこで眠ってしまった。
次の日の朝方、蹄の音で目を覚ました御大尽が見上げると、黒駒が鬣をなびかせて崖の頂に立っていた。黒駒の体は朝日に金色に輝き、この世のものとも思われない。「わしの、わしの黒駒じゃあ!」御大尽がガラガラと崖を登ろうとした時、黒駒は一声高くいななき、岩を蹴って崖から空へと飛び上がった。そうして空を駆けながら、黒駒はみるみる龍の姿に変わっていった。「龍神様じゃ」一行は驚いて地面にひれ伏した。龍は雲を呼び、嵐をおこしながら谷を越え、竜頭山の奥へと消えていった。
崖の上の大岩には、黒駒が踏ん張った蹄の跡と水を飲んだ窪みの跡がくっきりと残っていた。その岩は馬桶岩と呼ばれ、その窪みの水はどんな日照りにも枯れることはなかったという。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2011-12-17 22:02 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 寺沢正美(未来社刊)より |
出典詳細 | 三河の民話(日本の民話65),寺沢正美,未来社,1978年04月10日,原題「空を飛んだ黒駒」,採録地「南設楽郡」,話者「金子正一、稲能嘉子」 |
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