むかし、一人の泥棒がおった。
ある真夜中のこと、泥棒は酒屋の土壁に穴をあけ忍び込もうとしておった。やがて壁に穴があくと、用心深いこの泥棒、忍び込む前に柄杓を使って中が安全かどうか調べることにした。
一方家の中では、酒屋の婿殿が小銭を勘定しておった。ふと見ると、壁の穴から柄杓が出てきて、右へ左へキョロキョロと動き回るではないか。こりゃあ泥棒じゃと、婿殿は手近な『干した芋の茎』を手にとり身構えた。そうして、柄杓のかわりに泥棒の頭が出てきたところを、思いっきり芋の茎でぶっ叩いた!
「ぎゃぁっ!?」なんと、泥棒は死んだと勘違いして気を失ってしもうたそうな。そうして婿殿の方は泥棒を殺してしまったと勘違いしてしもうたのじゃ。気の小さい婿殿は、何事もなかったことにするのが一番と、泥棒の体を人気のない河原に捨ててしもうた。
冷たい雨が降り始め、やがて泥棒は息を吹き返した。「おら、賽の河原におるんだ……。」当人はすっかり死んだ気だから、見慣れた景色も賽の河原や三途の川に見えてしまうのじゃった。
やがて河原の向こうから朝日が登ってきた。「うわぁ、極楽じゃあ!」泥棒にはいつもの日の出が、極楽浄土の光に見えてしもうた。おまけに土手下の蓮池を見て、さらに勘違いした泥棒は、お釈迦様に一目会おうと蓮池に飛び込んでドタバタやりはじめた。
ふと見ると、蓮池のほとりに朝日の後光も眩しく一人の人影が立っておる。「お釈迦様だ!」泥棒は大喜びでその人影にすがりついた。「お釈迦様、許してくだされ!どうか地獄へは落さんでくれ!」泥棒は一息に喋り、気を失ってしもうたそうな。
その人影は、町外れの寺の和尚じゃった。泥棒は、和尚がいくらここは極楽ではなく、また、自分はお釈迦様ではないと言い聞かせても効き目はなかったそうな。そうしてとうとう、そのまま寺に住み込んで暮らし、結局勘違いしたまま一生を終わったという。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2012-11-6 23:41 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 松谷みよ子(角川書店刊)より |
出典詳細 | 太平の天下(日本の民話09),松谷みよ子,角川書店,1973年11年25日,原題「気のいいどろぼう」,伝承地「四国地方」 |
このお話の評価 | 6.40 (投票数 5) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧