土佐の民話 第一集(未来社,1974年06月10日)に、同タイトル名のお話があり「このお話かもしれない」ということであらすじを書いてみます。
とんとむかし。土佐の国は幡多の、ずーっと奥の山のふもとの村に、年老いた一人の爺さまが住んでおった。みんなからは喜のじいと呼ばれよったそうな。
その頃、この村の西の村に貧乏神というのがおって、それを家に泊めると、その家はたちまち貧乏になるという、奇妙な噂が流れておった。ある日、天の底が抜けたような土砂降り雨の夕方のこと。
ぱっか、ぱっか。馬を曳いて、ずぶ濡れの老人が西の村からやって来たそうな。それを見た村人たちは、
「ありゃ、おまん、貧乏神じゃないかよ」
「どうも、そうらしいぞ」
「ほいたら、この村へ置いちょけんのう」
「そうじゃ、そうじゃ。追い出せ、追い出せ」
と、口々に騒ぎ始めたと。
ところが、その中でたった一人だけ、この旅の老人をかわいそうに思った老人がおった。喜のじいじゃ。(この冬の、ひやい晩に、あんなに濡れて、なんぼか辛かろう)と、独り言を言うと、近くにおった村人が、これを聞き咎めて
「喜のじいよ、おまん、まさか、あの旅の年寄りを、家に泊めるつもりじゃなかろうの」
「つもりじゃが、それがいかんかよ」
「阿呆なこと言いなや。ありゃあ貧乏神ぜよ。貧乏神を泊めたら、どうなるか分かっちょるじゃろ」
「はっはっはっ、貧乏神じゃ貧乏神じゃ言うて騒ぎよるが、どこにそんな証拠がある」
「証拠…。そうじゃ、あの年寄りは、西の村からやって来たじゃろ。西の村にゃ貧乏神がおるっちゅう噂じゃった」
「噂だけじゃ、貧乏神と言うわけにはいかんのう。わしゃ、あの人を泊めるぞ」
「やめてくれ。この村に貧乏神が住みつくことになるきに。泊めることだけは勘弁してくれ」
村の人たちが難と言おうと、喜のじいはガンとして受け付けず、その旅人を家の中へ入れてやったと。「さあさあ、その濡れた着物を脱いで、これと着替えるがええ」と、あれこれと世話を焼いてやった。そして、囲炉裏の火を囲んで、喜のじいは久しぶりに旅の人と賑やかに話を交わしたと。
(まっこと、この人が貧乏神とは思えんのう)と思いながら、喜のじいは大事に取ってあった米を出して、お客さんのために御飯を炊いて出したそうな。(わしら、なんぼ困っても、お客さんは大事にせにゃあかん)こうした喜のじいの世話が嬉しかったのかしらん、旅の老人は三日たっても四日たっても、一向に家を出ようとはせなんだ。
そこで、村人たちは
「おいおい、あの貧乏神、まだ喜のじいのところにおるそうな」
「そりゃいかん、早うに追い出さんと、この村に貧乏神が居ついてしまうぞ」
「喜のじい、喜のじいよ」
とうとう、村人たちは喜のじいの家へと押しかけ、あの旅人を追い出すようにと言うたが、喜のじいは首を縦には振らなかった。けんど、とうとう一粒の米ものうなってしまい、さすがの喜のじいも困って、どうしようかと思いながら、旅人の所へ行くと、姿が見えんと。ただ一枚の紙きれが落ちちょって、〈夕方になったら、橋のそばのお地蔵さんのところへ行け〉と書いてあったそうな。
何が何だか訳が分からんかったが、お地蔵さんの前で腰をかがめて窺いよったら、橋の向こうからパッカパッカと白い馬がやってくると。人の姿は見えん。たまげて見よる喜のじいの前を、白い馬はサッサと通り過ぎていったそうな。白馬が通り過ぎていった後には、小判のいっぱい詰まった袋が落ちておった。
あの旅の老人は、貧乏神ではのうて、福の神さまじゃったと。それからというもの、村の人たちも旅人には親切にするようになったそうな。
(投稿者: araya 投稿日時 2011年12月23日 2:43)
ナレーション | 未見のため不明 |
出典 | クレジット不明 |
出典詳細 | 土佐の民話 第一集(市原麟一郎,未来社,1974年06月10日)採録地は幡多郡、舞台は幡多の奥の山の麓の村。 |
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