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No.0392
あめをふらせるしろなまず
雨を降らせる白なまず
高ヒット
放送回:0245-A  放送日:1980年07月12日(昭和55年07月12日)
演出:森川信英  文芸:久貴千賀子  美術:久保陽彦  作画:森川信英
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あらすじ

昔、福岡の宗像(むなかた)は、美しい山と豊かな田畑に囲まれた静かな里だった。

ところがある年の夏、日照りが続いたため、田畑はカラカラに乾き、作物はみな枯れてしまった。村人は困り果てたが、ただぼんやりしていてもしょうがないと、村一番の年寄りの太助爺さんの呼びかけで、雨乞いをすることになった。

村人は、昼夜を問わず毎日雨乞いをした。しかし、雨は一向に降る気配を見せない。とうとう村人はあきらめて、村を捨てて他所へ移る準備を始めた。ところが、人一倍村に愛着がある太助爺さんは、人々が村を捨てるのを黙って見てはいられない。子供の頃に噂に聞いた、山奥の泉を探すと言い出したのだ。

こうして爺さまは、強い日差しの照りつける中、一人で山の泉を探しに行った。野を越え山を越え、山の奥へ進んで行く爺さまだったが、足を滑らせ緩やかな崖をすべり落ちてしまった。ところが、その滑り落ちた先には、草木が青々と茂る林があり、さらに探し求めていた泉があったのだ。

爺さまは大喜びで、さっそく泉の水を村に引こうと、村に帰ろうとした。するとその時、泉の方から「もし、爺っさま」と誰かが呼び止める声がする。爺さまが泉の中を見ると、そこには白ナマズが泳いでいた。白ナマズは言う。「この泉の水を村まで引くのは無理じゃ。その代りに、私が雨を降らせてあげよう」

するとナマズの言葉通り、にわかに空がかき曇り、大粒の雨が降り出したのだ。こうして宗像の里は救われ、村人は他所に移らなくて済むようになった。

その後、村人たちは太助爺さんの頼みで泉の近くに小さな社を建て、白ナマズを祀るようになった。そして、今でも水に困ってこの泉から水を引こうとすると、必ず雨が降ると言い伝えられている。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2012-7-16 10:54)


参考URL(1)
http://blog.livedoor.jp/keitokuchin/archives/65508457.html
ナレーション市原悦子
出典加来宣幸(未来社刊)より
出典詳細福岡の民話 第二集(日本の民話52),加来宣幸,未来社,1974年04月25日,原題「雨を降らせる白なまず」,採録地「宗像」,話者「水上晃二」
場所について権現山(武守権現神社の旧境内:白なまずの住んでいる池がある)
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地図:権現山(武守権現神社の旧境内:白なまずの住んでいる池がある)
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※掲載情報は 2012/7/16 10:54 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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あやくじらのにわ  投稿日時 2017/9/19 3:49
白なまずさん、かわいいです~雨乞いのお話が好きなのです~いいね~
ゲスト  投稿日時 2017/8/17 21:04
森川信英先生の動物はかわいい。この白鯰もそうだよね。


yassan  投稿日時 2015/9/26 16:33
投稿ありがとうございました。地図を権現山に変更しました。
ゲスト  投稿日時 2015/9/25 20:25
 新立山(権現山)(326m 福岡県宗像市)
宗像市赤間と宮若市笠松地区の境界にあるこの山は「権現山」とも呼ばれており(宗像市側からは「新立山」、宮若市側からは「権現山」と呼ばれている)、標高326mと低山ながらも山頂からの展望が素晴らしく、玄海方面は響灘・玄界灘を、鞍手方面は六ケ岳や福智山を、筑前山口方面は西山・犬鳴山を見渡せる大パノラマを望むことができる。この眺望の素晴らしさと低山である安易さもあってか人気のある山で登山者が絶えることがない。
宗像市の新立山(権現山)、樹林の中 石祠(権現様)が祀られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%AB%8B%E5%B1%B1

武守権現神社の元宮となる。
権現神社(武守神社・武守権現神社)は、旧「龍王権現(ジョウセンジ)」(附録)で「白鯰の恩返し伝説」等でも知られている
yassan  投稿日時 2012/7/16 11:05
白ナマズが住んでいた池の場所ですが、参考URLによれば、宗像市武丸字久戸1535の武守神社旧境内にあったようです。

しかし、場所が定かでないので、とりあえず現在ある武守神社の方にポインティングしておきます。
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