讃岐の民話(未来社,1958年01月31日)に、同タイトル名のお話があり「このお話かもしれない」ということであらすじを書いてみます。
むかしむかし。あるところに貧乏な太郎作という百姓がいました。ある日、いつものように畑で働いている時のこと。ちょうど年の瀬で、麦の中耕をしていると、一人の汚い身なりの坊さんが通りかかりました。その坊さんの汚い身なりときたら、乞食のようでしてた。
ところが、その坊さんが、「私は長福寺へ行きたいけに、道を教えてくれまいか」と言いました。太郎作は気立てのよい百姓でしたから、その坊さんをわざわざ連れて、長福寺まで行きました。坊さんは喜んで、お礼のしるしにと言って一文銭をくれました。太郎作は家に帰って、その一文銭を妻に渡しました。
太郎作の妻はたいそうありがたがって、「明日はもう正月というのに、内ではもう餅一つ買えなくて、困ってたところじゃ。この一文銭で餅でも買うてくるわいな」と言って、町へ餅を買いに出かけていきました。餅を二つ買って帰る途中、一人の哀れなお婆さんに会いました。ボロボロの着物を着て、道の端でジィッとうずくまっていました。
「婆さん婆さん、どうしたのな」と聞きました。お婆さんは昨日から何も食べるものがないけに、ひもじくて困っているといったので、懐から餅を一つ取り出して、お婆さんに上げました。そして、家に帰ると、妻はこのことを太郎作に話しました。
太郎作は、「それはええことをしたの。明日の朝の餅は二人で仲よう、三日月形に切って食べたらよかろう」と言って、その夜は二人とも寝てしまいました。その晩遅くなってからか、昼間、道を教えてあげた坊さんが、布袋さんの姿になって、大黒さんや戎さんをお供に連れてきました。七福神は枕元で車座になって、この夫婦は来年は良い運が舞い込んでくるぞと、大きな槌を振り上げて言っています。
この時、ハッと太郎作は気が付きました。それは夢だったのです。目を覚まして、妻を起こし、夢の話をすると、妻も同じような夢を見ていました。元旦になって、二人は餅を三日月形に切って、お祝いをしました。その後は夢の通りで、その年から運が急によくなり、太郎作の家は村一番の分限者となりました。
(投稿者: araya 投稿日時 2011年12月22日 22:36)
ナレーション | 未見のため不明 |
出典 | クレジット不明 |
出典詳細 | 讃岐の民話(武田明,未来社,1958年01月31日)採録地は綾歌郡、舞台は不明。 |
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