No.0340
かっぱどっくり
河童徳利
高ヒット
放送回:0213-B  放送日:1979年12月01日(昭和54年12月01日)
演出:殿河内勝  文芸:沖島勲  美術:水野尾純一  作画:殿河内勝
神奈川県 ) 29066hit
あらすじ

昔、神奈川県は茅ヶ崎の西久保に、五郎兵衛(ごろべえ)爺さんという馬方が住んでいました。五郎兵衛さんはお酒が大好きで、徳利と馬をとても大切にかわいがっていました。

ある夏の夕方、仕事が終わって馬の体を川で洗っていると、馬の尻に河童がかじりつきました。川に引きずり込まれそうになっている馬の様子に驚いた五郎兵衛さんは、大声で村人たちを呼び集めました。

河童は村人たちからボコボコにやられ、木に縛りつけられました。河童は「自分には妻と子供がいるから助けてほしい」と、必死に命乞いをしました。五郎兵衛さんは優しい人だったので、河童の縄をほどき、川に帰してあげました。

その夜、五郎兵衛さんが家で寝ていると、河童が徳利を持って現れました。この徳利は、飲んでも飲んでも酒が無くならない不思議な徳利で、徳利の底を3回たたくまでエンドレスで酒が出続けるというお宝でした。

五郎兵衛さんは大喜びして、仕事にも行かず朝から晩まで酒を飲んで過ごすようになりました。あんなに大切だった馬にエサをあげることもせず、すっかり怠け者になってしまいました。

ある日、家の前で酔っぱらって寝ていると、すっかりやせ細ってしまった馬の様子に気が付きました。五郎兵衛さんは心から反省し、徳利の底を3回たたいてもう酒が出てこないように封印しました。

酒で危うく身も家も滅ぼしかけていた五郎兵衛さんでしたが、元の働き者に戻りました。この徳利は、西久保のある家に今でも残っているそうです。

(紅子 2013-8-18 20:54)


参考URL(1)
http://kappa-dokkuri.com/kappa05.htm
ナレーション市原悦子
出典安池正雄(未来社刊)より
出典詳細神奈川の民話(日本の民話19),安池正雄,未来社,1959年05月30日,原題「河童徳利」
備考神奈川県は茅ヶ崎の西久保
場所について河童徳利 発祥の地(神奈川県高座郡寒川町大曲4丁目)
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地図:河童徳利 発祥の地(神奈川県高座郡寒川町大曲4丁目)
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※掲載情報は 2013/8/18 20:54 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
1件表示 (全1件)
Perenna  投稿日時 2021/6/18 23:48
この昔話は、角川書店の「日本の伝説20・神奈川の伝説」にも書かれています。
「茅が崎市西久保円蔵の小室家には、家宝の河童徳利がある。
昔、間門川の近くに五郎兵衛という百姓がいた。ある日、五郎兵衛が間門川で馬を洗っていると、馬の尻に河童がすいつき馬を川に引きずりこもうとした。五郎兵衛は、村人と河童を捕えて木に縛りつけて帰って行ったが、夜になると哀れになり縄を解いてやった。次の晩、河童が徳利をもって礼にきた。その徳利は、不思議に酒を入れないのにいくらもでてくるが、底を三回たたくとでなくなるという。
五郎兵衛は、毎日、徳利かかえて飲んだくれていた。畑は荒れほうだいになった。そんなある日、五郎兵衛が馬小屋をのぞくと、馬はなつかしげに頬をすりよせてきた。五郎兵衛は、ハッと心を入れかえて徳利の底をたたいた。そして前にもまして働くようになったという。
五郎兵衛は、文政七年(1824)正月二日に亡くなったが、河童徳利は、大山街道べり見世物になって見物にくる人でにぎわったという。」

小室家といえば、小室圭さんの父方のご実家は、藤沢市善行にあるそうです。
五郎兵衛の子孫の茅ケ崎市の小室家とは、なにか関係があるのでしょうか?
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