昔、奈良の荒坂峠に大変裕福な長者が住んでおり、人々は彼を「荒坂長者」と呼んだ。
峠のてっぺんに立つ豪邸の前には白く濁る池があり、村人は口々に「荒坂長者の家のものは贅沢だ。米のとぎ汁で池が濁る」と言い合ったのだった。だが実際は使用人はおろか、長者とその息子ですら白米など食べず、蔵にせっせと溜め込むドケチを絵に書いたような親子だった。
ある時、麓の村に旱(ひでり)による飢饉が襲った。村人は、蔵に貯めているお米を貸してくれるよう屋敷の前に長蛇の列を作ったが、長者は無慈悲にも全てを断った。だが村人も諦めず嘆願しつづけた。
来る日も来る日も続く嘆願に嫌気がさした長者は、息子と相談し出した結論が「朝がこなければよいのだから、お日様を射落とそう」という愚かなものだった。彼らは欲に目がくらみ道理すらも理解できなくなっていたのだった。
早速息子が、峠の一番の大木に上り、夜明け前昇ってくる太陽を射た。太陽は射落されたかに見えたが、息子が歓声を上げた次の瞬間に息子を影も残さず消し飛ばし、雷を轟かせ空を真っ黒に埋め尽くした。さすがの長者も反省し、激しい雷が轟くなか怯えて「もう二度としない」と誓った。
ところが雷が少し遠のいた直後に「今年は不作だろうが、年貢はもっと取り立ててやる」と本音をもらした。すると、遠のいたかに見えた雷はすぐさま勢いを増し、屋敷に直撃し、蔵を燃やし、何もかも焼きつくしたのだった。この豪雨は、麓の村には恵みの雨となり、その年は不作どころか稀に見る豊作になった。
今はもう荒坂長者を知る者はない。白く濁った池を見て、村人たちは「何処かに粘土質の土があるのだろう」というだけである。
(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-6-16 2:26 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 花岡大学(角川書店刊)より |
出典詳細 | 奈良の伝説(日本の伝説13),花岡大学,角川書店,1976年12年10日,原題「荒坂長者」 |
場所について | 金剛山(地図は適当) |
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