昔ある村の西のはずれに西の山と呼ばれる山があった。西の山は小鳥のすみかであった。そして西の山の近くの村の子供たちはみんな元気で、毎日あたりを駆け回っておった。ある日、子供たちは「明日西の山へ行ってみよう」と誰からともなく言い出して、次の日に西の山へ行くことになった。
翌日、子供たちはおっかあに握り飯を作ってもらって、西の山へ向かうことになった。出発前に、ごんのおっかあは「西の山には山伏が住むと聞いとる。あんまり山奥まで行くんでねぇぞ」といって子供たちを送り出した。
子供たちは元気に西の山へ向かった。西の山へ着くと天気は良く見晴らしもよく、何ともいえない良い気持ちとなった。そして子供たちは腰にはにぎり飯、手には鳥もち竿を持って、小鳥たちのすみかを目指すことになった。鳥もち竿があっても、小鳥たちを捕まえることはできない。小鳥たちを追いかけるうちに、子供たちはいつの間にか随分と山奥まで入ってしまった。
腹が減った子供たちは山の中では珍しい平らな場所でにぎり飯を食うことにした。そして大きな一枚岩の上にみんなで腰を下ろした。
ところがみんな、腰につけていたにぎり飯がいつのまにかなくなっている。不思議がる子供たちに「ここはお前たちの来るところではねぇ。おれたちの遊び場だ」と、大きな声がした。
見ると山伏が木の枝にぶらさがってこちらを睨みつけている。山伏は「早く帰れ」となおも言うが、ごんは「そうは言っても、おら達は腹が減っている」と震えながら答えた。すると山伏は「それならこれを食え」とにぎり飯を子供たちに差し出した。子供たちが見るとそれは自分たちが持ってきたにぎり飯であった。子供たちはすっかり恐ろしくなり、一目散にその場から逃げ出した。山伏の「おいお前たち、これを食え」という声にも振り返らず、必死に山を駆け下りた。
山のふもとまでついたときには、夕方になっていた。ふと気が付くと子供たちの腰の袋には、にぎり飯が戻っていた。それからも西の山は小鳥たちのすみかだったということである。
(投稿者:カケス 投稿日時 2014/11/6 21:44)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 川崎大治(童心社刊)より |
出典詳細 | 日本のふしぎ話(川崎大治 民話選3),川崎大治,童心社,1971年3月20日,原題「にぎりめしと山伏」 |
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