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No.0210
てんきしょうにんとめおとだぬき
天基上人とめおと狸
高ヒット
放送回:0130-A  放送日:1978年04月15日(昭和53年04月15日)
演出:小林三男  文芸:沖島勲  美術:下道一範  作画:上口照人
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あらすじ

昔、今の広島県安佐郡馬木の里というところは、いくつもの丘が連なるところであった。

その中の彦太郎谷というところにある庵に、天基上人と呼ばれる坊様が住んでいた。いつの頃からか、この庵の床下に年老いた夫婦のタヌキが天基上人の法華経を聞くためにやって来るようになった。

ある日のこと、この年老いた夫婦のタヌキが「今夜は寒いので、中に入れてほしい」と頼んできた。天基上人は快くタヌキ夫婦をを迎え入れた。それから毎日、タヌキ夫婦は暖かい庵の中でお経を聞くようになった。

このタヌキ夫婦は大変賢く、天基上人へのおみやげとして木の枝や山芋などを持ってくることもあった。また、村人たちが天基上人のお経を聞きに庵に集まっているときには、旅人に姿を変えてそっと庵に入ってくるのであった。

ある冬も近くなった日のこと。タヌキ夫婦は「これから寒さが厳しくなると、お経を聞きに来ることもできなくなる。ありがたいお経を書いてほしい」と天基上人に頼んだ。天基上人は「南無妙法蓮華経」と書いた紙をタヌキ夫婦に渡した。

やがて春になると、タヌキ夫婦は再び天基上人のところへ来るようになった。そして「上人様からいただいたありがたいお経のおかげで、冬の間病気もせず、猟師に鉄砲で撃たれるようなこともなかった」と、天基上人に大変感謝した。

ある雨の夜のこと。タヌキ夫婦は「自分たちも年を取ったので、お経を聞きに来るのは今夜が最後になる。今まのお礼をさせてほしい」と天基上人に言った。天基上人は「村人たちが大雨の時に水がすべて、大川の方へ流れてくれればよい、と言っている」と答えた。

それから後、大川のほとりにタヌキ夫婦が寄り添っているように見える、大きな岩があった。この岩は大水の時に大川へ水を戻して村を水害から守っているということである。

(投稿者: カケス 投稿日時 2013-10-31 22:00)


ナレーション市原悦子
出典垣内稔(未来社刊)より
出典詳細安芸・備後の民話 第一集(日本の民話22),垣内稔,未来社,1959年11月25日,原題「天基上人と夫婦狸」,採録地「安佐郡」,話者「田川辰兵衛、辻治光」
場所について広島市東区馬木 デイリーヤマザキの側に夫婦岩がある
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地図:広島市東区馬木 デイリーヤマザキの側に夫婦岩がある
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※掲載情報は 2013/11/1 7:13 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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yassan  投稿日時 2015/7/8 16:26
報告ありがとうございました。地図に夫婦岩の場所を反映させました。
ゲスト  投稿日時 2015/7/8 15:56
地元の者です。夫婦岩はデイリーヤマザキの側にあります。
マルコ  投稿日時 2014/3/25 17:55
このお話に登場する 天基上人について調べていたらこんな記事がありました。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000041272

民話「なかずの池」について,広島市東区福田の民話で弘法大師伝説に由来するものだがこの民話の原典にあたる話を探している。聞くところによると「広島県民話百選」に選ばれているらしい。

「なかずの池」は『読みがたり広島のむかし話』,『ちゅ~ちゅ~ Vol.8』(p.14~15「なかずの池 (ちゅ~ちゅ~<今月のお話>))に掲載されています。質問者からの情報である「広島県民話百選」については,残念ながら不明です。『広島県民俗資料』(ひろしま・みんぞくの会)のシリーズに「昔話」「伝説」「民間信仰」があるので,「総索引」で“なかずの池”“弘法大師”をキーワードに調査してみますが,該当のものは見当たりません。ほかに『安芸国昔話集』『安芸の伝説』『備後の昔話』『生きている伝説』『ひろしまの民話1~3集』『日本昔話通観 20 広島・山口』を見るも,該当の話はありません。そこで,舞台となっている寺について調べることにしました。『安芸町誌 上巻』のp.575~「第4項 社寺」の項を読み進めていくと,p.598「福田村 妙法寺跡」に“近くに弘法大師の伝説としての「泣かずの池」がある。”との記述がありました。この妙法寺について詳しく調べる必要がありそうです。寺は福島正則の時代に広島中島町に移されたとのことなので,『新修広島市史第6巻 資料編その1』所収の「知新集」を調べます。するとp.748に「妙法寺」があり“当寺往古は高宮郡福田村にありしを”とあるので,これで間違いはないようです。寺の由来記を読むと,中頃に“時の隠居天基上人と申大徳ありて・・・稲作の頃ハ蛭農人の手にまつハり血を吸ハれてくるしむをミて蛭の口をとゝむ,(中略)或ハ田の中にて蛙のなく声を喧しとて嫌ふ人ありけれはかれかため蛙の口をとめられけれは其まゝ鳴をとゝむ”との逸話がありました。この天基上人が登場する民話は『安芸町誌 下巻』に「天基上人と夫婦狸」という題で掲載されており,話の中に同じ逸話があります。出典は『安芸・備後の民話』となっています。ちなみに,蛭の口を止める話は弘法大師伝説の中にいくつか見られます

このお話に登場する天基上人ってこの地域の歴史と関係している人なんですね!!と思いました。
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