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No.0184
まいのかわのやまんば
舞の川の山んば
高ヒット
放送回:0115-A  放送日:1977年12月24日(昭和52年12月24日)
演出:藤本四郎  文芸:沖島勲  美術:下道一範  作画:高橋信也
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毎年12月28日に餅をつくように、と念を押す老婆の話

昔、葉山村に清兵衛(せえべえ)という貧しい百姓が住んでいました。清兵衛には五人の子供がいて、貧しいながらも毎年12月28日になると餅をつき、ささやかながらお正月をお祝いしていました。

ある年の12月28日、例年通り一家で餅つきをしていると、突然見かけない老婆がやってきました。「餅つきの手伝いをしに来た」と言って、さっさと餅を丸めはじめ、あっという間にお餅が出来上がりました。あっけにとられていた清兵衛でしたが、老婆は「この家にはやがて幸せがやってくる、必ず毎年12月28日に餅つきをしなさい」と念をおして帰っていきました。

あの不思議な老婆の言う通り、翌年から仕事もうまくいき、子供たちも元気に成長していきました。そして毎年毎年、あの老婆が12月28日にやってきて餅つきを手伝っていくのでした。清兵衛一家も年々豊かになり、ついに十年後には長者になっていました。

しかし金持ちになった清兵衛は、村人から「鬼の清兵衛」と呼ばれる男になっていました。すっかり感謝の気持ちを忘れてしまい、あれだけ老婆から念を押されていた28日の餅つきの日を、一日だけ早めてしまいました。

翌日28日に、あの老婆がやってきて「約束を破ったな、もうこれまでじゃ」と言い残して、激しい風と共に消えていきました。この老婆は清水谷に住むという山姥だったのです。

この山姥の言った通り、清兵衛に不幸が続くようになりました。一人娘が病死し、商売もうまくいかなくなり、みるみるうちに没落していきました。もう今となっては、どうする事もできませんでした。

(紅子 2011-12-30 5:36)


ナレーション常田富士男
出典市原麟一郎(未来社刊)より
出典詳細土佐の民話 第二集(日本の民話54),市原麟一郎,未来社,1974年08月30日,原題「舞の川のヤマンバ」,採録地「高岡郡」,話者「永山雄樹」
場所について高知県土佐の葉山村(地図は適当、現在は津野町)
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地図:高知県土佐の葉山村(地図は適当、現在は津野町)
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※掲載情報は 2011/12/30 5:36 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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taneugene934  投稿日時 2021/9/25 16:14
山姥の言葉は本当だ。もし何か偉大さが忘れによって失われるならば、何かが貧しく貧困な悲惨さに戻るでしょう。我々は皆、約束を忘れてはならないことを学ぶ。
Perenna  投稿日時 2020/6/30 1:26
この昔話と似たような話は、同じ出典の「土佐の民話・第一集」にもあります。
「やまんばの餅」という題で、高岡郡佐川町加茂長竹に伝わる話です。
「ある年、歳こしもせまったみそかの晩じゃったそうな。加茂の長竹部落にのう、うすぎたない着物をまとうた、総しらがのお婆さんが、どこからとものうやってきたそうじゃ。それがなんと、きたない布の袋に、ほんの一、二合ばぁのもち米をいれて、「おたくの餅をつくついでに、わしの餅もついてくだされ」と、こういうて、家ごっとに、たのうでまわりよった。」という書き出しで始まっています。
葉山村の清兵衛一家と同様に、親切なまずしい百姓一家が餅をついてやると、不思議なことに餅が二倍も三倍も増えていきました。
婆さんは毎年毎年やってきて、一家の暮らしも豊かになっていきました。
ある年、苦労知らずの子供が婆さんのことを嫌いだして、「あんなきたない餅がつけるか」と言い出しました。
農家の主人も根負けして、その年は婆さんが来る前に餅つきを終わらせてしまいました。
餅つきのすんだ後にやって来た婆さんは、残念そうに帰っていきました。
その後、その一家の餅つきは増えるどころかだんだん減っていって、またもとの貧乏暮らしに逆戻りしていったそうです。
「土佐の民話・第一集」にはそのほかにも、やまんばが畑の粟を増やしてくれたり、餅や寿司を手作りしてくれる「やまんばの里」という話があります。
福をもたらしてくれるやまんばを邪険に扱ったために、また元の貧乏になってしまうというような話は土佐には多いのでしょうか?
ゲスト  投稿日時 2017/11/9 22:38
私も、2番目の方と一緒です。
私の気持ちをそのまま伝えて下さいました。
ゲスト  投稿日時 2015/6/10 10:56 | 最終変更
山姥に対する感謝の心さえ持ち続けていれば、
清兵衛一家がこれほど不幸になることもなかったはず。
すべては清兵衛の心掛けの悪さから来たもの。
ゲスト  投稿日時 2014/12/23 0:21
清兵衛が作中で言ってたように、山姥が具体的にどういう風に彼を金持ちにしたのかがわからないんですよね。
だから彼の言うことにも一理あると思います。

それでも慢心するのはいけないことですが。
それにしても山んばも余計なことをしなければ、あの清兵衛の家は没落することはなかったでしょうね。

金が沢山あると、大部分の人間は慢心して金をもっとほしがるようになる。つまり欲が出てきてしまうから、山んばも人間の事を本当に理解できていなかったんじゃないかと思います。

私が山んばだったら、お金持ちにするよりも、貧しくても家族全員、健康で病気一つしないようにしますね。何をするにも健康でないとうまくいかないものですから。
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