昔、伊予の国(愛媛県)に清八(きよはち)という子供がいました。
お父さんが病気なので毎日一人で漁に出ていましたが、まだ一人前の漁が出来ずに生活は苦しいのでした。その夜、清八はお父さんが眠るのを待って海へ出ました。
すると海の中に俵が浮かんでいて、中を覗くと死人(しびと)が入っていました。清八は死人を船に運び上げると、近くにあった大岩に向けて漕いで行きました。子供心に哀れに思った清八は、流木を集めて丁寧に火葬にしてあげました。
それから三ヶ月が過ぎて、天草(てんぐさ)採りの季節がやってきました。清八の村では毎年年貢として天草を納めなければならず、清八は夜まで頑張っても天草は全然採れませんでした。精魂尽き果てた清八は、岩場に船を停めてぐったりと眠りこけてしまいました。
目を覚ますと見知らぬ船が近付いてきて、乗っている男をよく見ると清八が海で拾って葬った死人でした。男の船は方向転換すると、清八の船は見えない糸に引かれるようにゆっくりと動き出しました。そうして清八の船を引いた死人の船は大岩の大きなウドの中へ吸い込まれるように入って行きました。ウドとは洞穴(ほらあな)のことです。
真っ暗なウドの奥の方に、清八の船がやっと入れるくらいのウドぐちが現れました。そこは畳百枚は敷けそうな砂浜になっていて、たくさんの天草が打ち寄せられ山積みになっていました。こうして清八は無事に年貢の天草を納めることが出来ました。
そうしてそれ以来不思議なことに漁の腕もメキメキと上がり、父親にいい薬を買ってあげられるようになりました。その後、噂を聞きつけた他の漁師たちがあのウドの中に入ってみましたが、奥のウドの中には誰も行きつけなかったということです。
それ以来、あの洞穴は天草が隠してあるということで「くさがくしのうど」と呼ばれるようになりました。
(投稿者: 迦楼羅 投稿日時 2012-12-2 7:44)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 愛媛のむかし話(日本標準刊)より |
出典詳細 | 愛媛のむかし話(各県のむかし話),愛媛県教育研究協議会国語委員会、愛媛県教育会,日本標準,1975年11月10日,原題「くさがくしのうど」,話者「吉岡忠」,再話「山本芳和」 |
場所について | 愛媛県の西海(地図は適当) |
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