昔、伊豆の対島(たじま)に福泉寺(ふくせんじ)というやぶれ寺があった。この寺に住む住職は次々に行方不明になり、今では誰も住む者がなくなってしまった。村人たちは、福泉寺の奥にある大池の主が池に引き込んでしまうのだと言った。
それから何年かして、美濃の国の名のある武将が、何か思うところがあり出家した。僧になった武将は対島を訪れ、対島の美しい眺めを見て、ここを入定の地と定めた。そこで僧は、福泉寺のことを古老に聞いた。古老が言うには、福泉寺の森の奥に大池があり、夜中にその池の方から牛の鳴き声のような恐ろしい声が聞こえると言うのだ。僧は、それならば今晩、福泉寺に泊まり化け物の正体を見届けると言い、古老が止めるのも聞かず一人で福泉寺に向かってしまった。
夜、福泉寺の本堂では、静まり返った闇の中で僧の読経の声だけが響く。すると池の方から化け物の咆哮が聞こえた。僧が本堂から外に出てみると、そこには赤牛がいた。僧は赤牛に向かって、「もしそなたに仏性(ぶっしょう)があるなら人間の姿になって話してみなさい。」と言う。すると赤牛は夜叉(やしゃ)の女の姿になって本堂に入ってきた。
赤牛を目の前にして一切動じない僧を見て、赤牛は問いかける。「主(ぬし)は命が惜しくないのか?」僧はこれに応えて言う。「自分は命に執着はない。そなたには仏性がある。仏の功徳(くどく)を聞かれてはどうか。ここに来た理由は救われたいがため?」
赤牛はこれを否定する。「自分は魔界に生を受けたもの。仏法などには縁はない。ここに来た理由はお主を殺そうと思ったからだ。しかし、お主は今までの僧とは違う。ここの住職は自分を恐れ、なかには討ちかかってくる者までいた。それでやむなく池に引き込んで沈めてしまった。しかし、ここにきて殺生が嫌になった。」
僧は言う。その心こそが仏性であると。僧は続けて自分が出家した経緯を話す。「自分が出家を思い立ったのは、戦で多くの人を殺したがため。私とそなたは同じ悩みを持つもの同士で、その二人がここで対峙するのも、仏のみ心によるものであろう。」
こう言って僧は、夜を徹して赤牛に仏の道を聞かせた。そして夜が明ける頃には、僧と赤牛は二人で手を合わせて読経していた。すると赤牛の身体が光り、これまで夜叉の女の姿であったものが美しい女の姿に変じた。これは赤牛が発心(ほっしん)したためであった。
女の姿に変わった赤牛は、本堂をでて大池に向かった。すると歩く道は白い光となり、赤牛を導くように大池の方に向かって伸びた。女の姿の赤牛は念仏の声とともに大池の水面上で消える。翌朝、このことを聞いた古老は、なんとも有り難い話であると感嘆した。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-5-13 7:31 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 岸なみ(未来社刊)より |
出典詳細 | 伊豆の民話(日本の民話04),岸なみ,未来社,1957年11月25日,原題「対島の赤牛」,採録地「川奈」 |
場所について | 伊東市池464 龍渓院(赤牛の伝説を伝える) |
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