昔、山梨は甲府盆地の村々に、鎌倉の建長寺(けんちょうじ)の和尚さまがおいでになるという噂がたった。
和尚さまは、ここ山城村(やましろむら)に逗留することになり、和尚さまがおいでになる前日、村人たちは名主の家に呼ばれた。名主が言うには、和尚さまは犬が苦手なので、犬のいる家は、犬をしっかりつないで置くようにとのことだった。
さて翌日、和尚さまは神輿(みこし)に乗って、物々しい行列を伴って村にやって来た。ところがどうした訳か、和尚さま一行が村に入ると、村で飼われている犬が、けたたましく吠え始めた。和尚さまは本当に犬が嫌いと見えて、神輿の中で震えるばかり。
やがて和尚さまが宿と決めた名主の家に着くと、名主の家ではたくさんの精進料理を作って和尚さまをもてなした。ところが和尚さま、食事を人に見られるのは嫌だと言い、名主のおかみさんに屏風(びょうぶ)を立ててくれるよう頼んだ。こうして食事を始めた和尚さまだったが、食事が終わりおかみさんがお膳を下げに入ると、驚いたことに食べかすはあちこちに散らばり、器はひっくり返され、見るもきたない食べ方であった。
さらに食事の後、名主が記念に書を一筆お願いすると、和尚さまは早速筆を取り何やら書いてくれたが、これが達筆すぎたためか、何が書いてあるのか名主にはさっぱり分からなかった。
さて翌日は、和尚さまが村の寺でお経を上げてくれるというので、村人はこぞって寺に集まった。和尚さまの読むお経は、高く澄んだいい声で、村人たちは喜んで聞き入った。
こうして2日間の逗留も終わり、和尚さまは神輿に乗って名主の家を後にした。ところが、一行が村のはずれの森に差し掛かると、森の中から山犬の群れが飛び出し、和尚の乗った神輿に襲いかかったのだ。お供の者がやっとの思いで山犬を追い払ったときには、もう和尚さまは半死半生の有様だった。一行は急いで名主の家に引き返し、和尚さまを手厚く看病した。
しかし看病の甲斐もなく、やがて和尚さまを息を引き取った。村人たちも大いに悲しみ、その日は名主の家でお通夜をした。しかし翌日、何としたことか、和尚さまの遺体は大きなむじなに変わっている。驚いて鎌倉に使者を出すと、どうやら建長寺の縁の下のむじなが、和尚さまを食い殺し、和尚さまに成り代わっていたというのだ。
このむじなが書いたという書は、今でも山城村の名主の家に残っているという。そしてこの地方では、子供たちのご飯の食べ方がきたないと、建長寺さんのようじゃと言って叱るのだそうだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 1-3-2012 13:01)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 土橋里木(未来社刊)より |
出典詳細 | 甲斐の民話(日本の民話17),土橋里木,未来社,1959年03月31日,原題「むじな和尚」,採録地「甲府市緑町」,話者「鈴木つる子」 |
場所について | 甲府市の山城地区(地図は適当) |
このお話の評価 | 8.43 (投票数 7) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧