No.1285
うばすてやま
うばすて山

放送回:0813-A  放送日:1991年09月14日(平成03年09月14日)
演出:上口照人  文芸:沖島勲  美術:小出英男  作画:上口照人
新潟県 ) 15879hit
あらすじ

昔、ある国では、年寄りを山に捨てさせる掟があった。なんでも、年寄りは国の役に立たないという理由で、皆六十一歳で山に行くことになっていた。

そんな国の片田舎に、おっかあと息子が住んでいた。おっかあは生来元気であったが、明日にはとうとう六十一歳を迎え、うばすて山に行かねばならなかった。

息子は仕方なく、翌朝早くにおっかあを背負子(しょいこ)に乗せると、重い足取りでうばすて山に向った。

やがて山もだんだん深くなり、うばすて山が近づいた時、息子の背後から「パキッ、パキッ」と枝を折る音が聞こえてくる。おっかあは、息子が帰り道で迷わないように、道しるべに枝を折っていると言うのだ。これを聞いた息子は、おっかあの親心を感じ、胸がいっぱいになった。そして、おっかあを背負ったまま一目散に山を下りた。どんなお咎めを受けても、おっかあを養う覚悟を決めたのだ。

さて、それからしばらくして、隣の大国の殿様がこの国の殿様に難題を出してきた。そしてこの難題に答えられなければ、この国を攻め落とすと言うのだ。その難題とは「灰で縄をなえ」というものだった。息子はこの話を床下にかくまったおっかあにした。するとおっかあは、縄を塩水につけてから乾かし、それを戸板の上で燃やせと言う。

息子は早速これを殿様に進言した。しかし隣国の殿様は、なおも第二、第三の難題を出してくる。第二の難問は「七節曲がった竹の穴に糸を通せ」、そして第三の難問は「打たずに鳴る太鼓を作れ」というものだ。すると、おっかあはこれらの難問も見事に解いて見せた。第二の難問の答えは、竹の穴の片方に蜜を付け、もう片方の穴から糸を巻きつけた蟻を入れる。そして第三の難問の答えは、太鼓の中にクマンバチの大群を入れるというものだった。

これらの答えが、全て年老いた母親によるものと知った殿様は、年寄りの知恵に感心してこれまでの考えを改めた。そして、うばすての風習は無くなり、人々は年寄りをいたわり幸せに暮らせるようになった。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2014/9/23 18:31) 


ナレーション常田富士男
出典(表記なし)
備考出典元不明ですが、初期版のリメイク版である点をふまえ「越後」としています。
VHS情報VHS-BOX第3集(VHS第21巻)
場所について姨捨山(おばすてやま・うばすてやま)長野県の同名の山、関連不明。
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地図:姨捨山(おばすてやま・うばすてやま)長野県の同名の山、関連不明。
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※掲載情報は 2014/9/23 18:31 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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匿名希望  投稿日時 2014/7/18 11:34
上口さんが描く、キャラクターの中にはひょうたんみたいな顔立ちと相まって。
ちょっぴり、首が細くて長いのが印象的です。
匿名希望。  投稿日時 2013/10/7 11:13
ちょっぴり悲しい旧作よりも、リメイク版に登場するおっかさんは明るくて。
ジャンプしながら、マキを割るシーンはとってもコミカルだった。
マルコ  投稿日時 2013/6/15 19:51
このお話のうばすて山は能の「姨捨」と関係しているんですよ!!
それでは、能「姨捨」のあらすじを説明しましょう!!

都の人が更科の月を眺めようと姨捨山にやって来ると、一人の女が現れる。姥捨の跡はとの問いに、女は「我が心慰めかねてう更科や 姨捨山に照る月を見て」と詠んだ古人の跡を教え、自分もここで捨てられた者だ、今夜は月の出と共に現れて夜遊を慰めようと言って姿を消す。やがて女は老女の霊として現れ、月を愛で、月にちなんだ仏説を語り、昔を懐かしんで舞を舞う。夜が白々と明けて都の人が帰ると、また、ただ独り山中に残される。

舞台展開
1.都に住む一行(ワキ・ワキツレ)が更科の月を眺めようと姨捨山へと着く。
2.里女(シテ)が現れる。都人が姨捨の在所を尋ねると、里女は「我が心慰めかねてう更科や 姨捨山に照る月を見て」と詠んだ旧跡を教える。都人と里人は辺りの風景をしばらく見入る。
3.更科の月を見に来たことを都人が言うと、里女は月の出と共に現れて夜遊を慰めようと言い、この山に捨てられた者で名月の秋毎に執心を晴らそうと現れ出るのだと言って消え失せる。
4.里人(アイ)の登場。都人に姨捨伝説を語る。
5.都人たちが月の出を賞している。
6.老女の霊(シテ)が現れ、姨捨山の秋の月をたたえる。
7.老女の霊は、老いの姿を恥じつつも来たこと、儚い世であるから草花を愛で月に興じて遊びたいものだと言う。
8.月の名所 更科の月、姨捨山に曇りなく満ちる月を賞する。阿弥陀如来や大勢至菩薩のことなど月にちなんだ仏説を語り舞う。
9.月光の下、老女の霊は昔を懐かしんで舞を舞う。
10.姨捨山に照る月を見て昔を偲び懐旧に耽る。夜が明けはじめ、帰る都人を見送ると、また独り、姨捨山に残される。

マルコは「姥捨」を実際に見たことがありません!!だから、どんなに素晴らしい作品か分からないので・・・「いねむり観能記」さんのサイトより引用します。

肉親に山に捨てられ、孤独で過酷な死を迎えたはずの盲目の老女は、今はその恨みも悲しみもすべてそぎ落としたかのように舞っている。
しかし、彼女は成仏したわけではない。
自分でも「執心の闇を晴らさん」とか言って、実際にこうして幽霊として旅人の前に現れちゃったりしているのである。
彼女をこの世にとどめているのはなにかとと考えたとき、それは「寂しさ」なのかなと思った。
他の感情はなにも残っていないが、ただ純粋な「寂しさ」だけが残留思念のようにこの山に残り、都からの旅人のおとずれを喜んで実体化してしまったのかもしれないな、と。
旅人が去ったとき、別にそれを引き止めるでもなく、嘆くでもなく、彼女の意識は山の中に雲散してしまったようだった。そしてまた新たな旅人が訪れたときに老女の形をとって現れるのかもしれない。
長い上に動きの少ない老女物とて、いねむり覚悟で見ていたが、間狂言の最初のところだけ意識が飛んだだけで、あとはこの空間にどっぷりと浸ることができた。序ノ舞では我知らず、ぼろぼろと涙がこぼれた。感情移入や哀れみなどが原因ではなく、純粋な老女の姿と月の光に自分の心が浄化されて出てきた涙だった。
ワキ、間狂言、お囃子方、地謡、後見の方がたも素晴らしいものであった。

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