昔、ある町を見下ろす所に長い石段を持つお寺があり、その山門には立派な仁王様が立って参詣の人々を迎えていた。
ある晩、この仁王様の片方、吽形の仁王様が、夜になって参詣客の途絶えた山門の中で溜息をつき、固まった体から力を抜いていた。そしていつもじっと眺めているだけの山門の向こう、町から続く石段の方を見ながら、一体下の町はどんな所なのだろう、一度見てみたいと思った。
人も居ない夜の事、少しくらいならと初めは山門から身を乗り出してみた。だが長い石段のこちら側なので、町の様子は全く分からない。遂に仁王様は山門を抜け出して、人に見つからぬようにちょっとだけなら、と自分に言い聞かせて町へ降りてみる事にした。
初めて見る夜の町は、まだ明かりがついている所も消えている所もとても静か。道で出会うものといえば犬くらい。仁王様はそんな町の様子を静かに楽しみながら、道すがらの道祖神に挨拶などしつつ、ついに町はずれの川を越えて更に静かな所へとやってきた。
そこには小さな家があり、まだ明かりがついている。そしてキイカラキイカラと不思議な音が聞こえくる。
仁王様は興味が湧いて家に近寄り、腰を曲げて窓から中を覗くと、婆さんが一人でこちらに背を向けて糸を紡いでいた。糸車を回す動きと音を面白いと思った仁王様が夢中で覗いていると、婆さんの尻がもぞもぞと動いて大きな屁を一つひった。
仁王様はびっくりしつつもおかしくなり、声を殺してクスクス笑ってしまった。その声を聞いた婆さんが一言「におうか」と言ったものだから仁王様は真っ青になった。
婆さんが「匂うか」と言ったのを、自分が仁王である事を見透かされたと勘違いした仁王様は、大慌てで町を走り抜け、石段を駆け上がって山門に飛び込んだ。
そして下界には恐ろしい婆さんが居るものだと懲りたのか、もう山門を抜け出す事もなく、参詣の人々を見守り続けたという事だ。
(投稿者:すず猫 投稿日時 2014/3/22 22:03)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 安池正雄(未来社刊)より |
出典詳細 | 神奈川の民話(日本の民話19),安池正雄,未来社,1959年05月30日,原題「仁王か」,話者「安池鍬蔵」 |
場所について | 平塚市南金目896 光明寺? |
このお話の評価 | 7.50 (投票数 4) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧