むかしから、内浦や西浦はみかんの産地として知られていました。その西浦木負(にしうらきしょう)に、広いみかん山を持つひとりの男がありました。みかんの木は、実を沢山つける年と、つけない年があり、それぞれ成り年、不作の年というのでした。
ある年のこと、どのみかん山も当たり年で、枝もたわわに実をびっしりとつけて、折れそうに垂れ下がっていました。どうしたことか、当たり年だというのに、みかんが、なんにもつかない山がひとつだけありました。男は不思議に思い、いく度となく山を見て廻るのでしたが、どうしても原因がわかりませんでした。病気も虫もついていないのに、実が一つもつかないなんてことは、今まで一度だって無かったのです。
(何百本もある木に一つぐらいなっていてもよさそうなものだ)と思いながら、丁寧に下枝を調べていくと、みかんの葉の色にまぎれている一つの大きな実を、ようやく探し出しました。
「たった一つだけあったぞ。」
と男はつぶやきました.一つだけ付けておいても仕方がないので、もぎ捨てようかとも思いましたが、それでもどんな実になるか試そうと残すことにしました。
男は山に出かける度に、一つのみかんが気にかかり、見に行くと、その度にどんどん大きくなっているので、楽しみになりました。
「へんてこなみかんじゃのう。」と男はいいながら、人の頭ほどにもなったみかんを、ひそかに見守りました。そろそろ色づきはじめ、取って食べられる頃になりましたが、男の好奇心もふくらみ、どれだけ大きくなるか試してみようと思うようになりました。枝は実の重さでだんだん下がり、とうとう地面についてしまいました。それでも、実はとまる様子もなく、ずんずん大きくなって、ついにひとかかえほどになってしまいました。
もうこのへんでよかろうと、はさみをもって山に出かけた男は、熟したみかんを指先で、コツコツたたいてみました。
すると中から声がして、「まて、まて、」というのでした。おかしなこともあったものだと、また、たたいてみました。すると、「まて、まて、」と声がしました。
男はどんな具合になっているのかと、不思議に思い、みかんに耳を当ててみると、中で老人がしきりに話し込んでいる。聞き耳をたてると、
「また、わしの勝ちじゃな。」
「いやいや、そうたびたび負けてばかりおられぬ。」
「それでは、こうといくか。」
といい、パチンと石で木の面をたたく音がしました。しばらくすると、たまりかねたような声で、「まてよ・・・まてよ・・・ううん。」と、うなって、しばらく音も声もしません。
男はなんのことか、さっぱりわからないので、中をのぞいてみたくなり、小さな棒きれをとってみかんの皮に穴をあけ、目を細めてのぞきこみました。
みかんの中には白いひげをのばした二人の老人が、碁盤を囲んでさかんに碁を打っていました。
穴に背を向けている老人の方が、勝っているらしく、余裕をもってあごひげを、ときどきしごいているのに、穴の正面にいる老人は、碁盤を見てうつむき、頭を左に右にしきりにひねっています。ときたま「うーむ」と苦しそうな声を出しています。ようやく正面の老人は、おもいきってパチリと黒石を打ち、顔をあげると光のさし込むみかんの穴に目を向けたのでした。とつぜん、老人の目と男の目があって、驚きながらもおたがいに、にっこりと笑いました。
どうやら碁は、正面の老人が負けそうで、なんとか挽回をねらっているようでした。男もなかなかの碁打ちでした。ときに、食事も忘れて碁を打ち続け、家族の者にしかられるほどでした。老人たちの碁を見ているうちに、まだ黒が勝てる手を探し出しました。こうなっては、男はじっとしていられません。みかんの皮の穴をだんだん大きく拡げ、指をさしこんで、黒に合図をして、石をさす場所を教えてやるのでした。黒石をもった老人は、にっこりとうなずくと、力をこめてパチンと石を置くのでした。
「うむ、これは良い手じゃ。」と背を向けた老人は残念そうにいい、チエッと舌を鳴らしました。男の指が、つぎの石を置くところを示すと、老人はうなずいてまた、パチンと石をおろしました。「こりゃこりゃ、また読まれたか。」と後ろ向きの老人は、正座にすわりなおして、真剣になるのでした。男はもう完全に、自分が碁を打っている気持ちになり、とうとうみかんの皮に、体が入るほどの穴を開けてしまい、体を半分のり入れてしまいました。男の助け舟で、碁の勝負は逆転し、黒をもつ老人はニコニコあごひげをしごきながら、相手の手を待っているのでした。
「変だなあ、今までおぬしに一度だって、負けたことないのに。」
「そうはいかんさ、いつも柳の下にどじょうはおらんからな。」
と正面の老人はいつにない調子のいい顔つきで、大きくあいた穴のほうに目をむけ、相づちをうつように首をたてに振りました。そのとき、碁盤から目をあげた、うしろ向きの老人は、体をのり出した男をとうとう見つけてしまいました。
「ややや、こいつはずるいぞよ、ないしょで教えていたな。」
「アハハハハ。」
「アハハハハ、急にばか強くなったと思ったが、どうりで。」
「あーあ、どうもどうも、ばれてしまってはしょうがない。」
「アハハハハ。」
「アハハハハ。」
二人は大きな口を開けて笑い転げました。
すると、二人の老人は立ち上がりながら碁盤の上の石を、わしずかみにし、「けしからんやつじゃ。」と言いながら男めがけてバラバラふざけるように投げつけました。
男も笑いながら碁石をあびたが、二人の老人は、あっという間にどこかへ消えてしまいました。
大きなみかんは、ぽっかりと二つに割れてしまい、中から種がバラバラとこぼれ落ちました。
男は夢でも見ていたような気持ちで、今しがたの出来事をしばらく思い出していました。やがて、何を思ったのか、男は散らばった大粒のみかんの種をかき集めて山を下りました。
男がこの種を畑にまき、苗を育てたところ、めずらしく大きく、その上、味も色もよいみかんがたくさん実りました。木負のみかんはこうして、ますます多くの人に知られていったのでした。
『沼津市誌』より (引用)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 岸なみ(未来社刊)より |
出典詳細 | 伊豆の民話(日本の民話04),岸なみ,未来社,1957年11月25日,原題「仙人みかん」,採録地「古字」 |
場所について | 静岡県沼津市西浦木負の周辺 |
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