大正4年に出版された「南総の俚俗」では次のように書かれています。(コマ番号60/91)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870048/60?tocOpened=1「ある時蝮病みてしの根の上に倒れ伏したれど疲弊せる爲動く能はざりしを地中の蕨(わらび)憐(あわれ)に思ひ柔(やわ)な手もて蛇の体を押し上げて、しの根の苦痛より免れしめたり、爾後山に入るものは「奥山の姫まむし蕨の御恩を忘れたか」と唱ふれば其害を免る。(しの根とは茅根(かやね)のことなれどここは其鋭き幼芽のことなり)」
大正6年に出版された「日本伝説叢書・上総の巻」にも、同じ話が載っています。(コマ番号120/212)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953567/120「蝮と早蕨(さわらび) (長生郡二宮本郷村原田区)
ある時の事であつた。病気の蝮が、茅根(しのね)(こゝでは其鋭い幼芽の事)の上に倒れて、疲れきつて、動くことも出来ないでゐた。その時まで、まだ土の中にゐた早蕨は、此蝮の苦痛を大層憐れに思つて、柔かな手で、そつと蛇の體(からだ)を押し上げてやり、漸(やうや)くのことで、しの根の苦痛(くるしみ)から免れしめてやつた。それからこつち、山に入る者は、
『奥山の姫まむし、蕨の御恩を忘れたか。』
と唱へると、その害を免れることが出来た。」
「奥山の姫まむし」と呼ばわっているので、この蝮は雌の蛇だったらしいですね。
「なんでわらびへの恩なのに人間に言われて退散する必要があるのか?」という疑問については、おそらく蝮が茅根に突き刺されたことに対して大変屈辱を感じており、助けてくれた蕨の名前を持ち出されるとそのことを思い出して恥じ入ってしまい、おとなしく退散する、ということなのではないでしょうか?