Re: 首切り地蔵
投稿者:たかちゅう 投稿日時 2019/7/21 4:32
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都窪郡庄村と言う地名は廃藩置県以降の明治中期(~昭和46年まで)につけられたものであり、江戸時代においては、矢部村、日畑村のいずれかの所属になると思います。現倉敷市庄新町。備中高松城の水攻め以降、この辺りは宇喜多家家臣の戸川領となり、備中国でありながら、備前の支配を受ける状態だったようです。数百メートル東にたてつき墳丘墓があり150~200年ごろのもので当時の国内最大級だそうです。
(卑弥呼の時代よりも古く、誰の墓なのか不明)
古くから人が住んでいた形跡の残る土地です。