大木須城(那須烏山市大木須字大壇坊)
大木須城は県道274号線の「塙」と言うバス停の西側にそびえている山上にあった。比高80mほどの山稜南端部である。
木須氏の居城である。比高80mほどの山上が城址であり、空堀が残っているらしいが、今回は遺構を確認していない。東南に突き出している山稜の先端部を利用したものであり、西側の尾根続きの辺りの側面から上がっていけそうな道が見えたので、ここから上がれるようである。
明応年間(1492~1501)、那須資実の次男であった頼実が大木須、小木須、横枕の地に分地され、木須民部太輔を名乗った。これが木須氏の始まりであり、大木須城を築いてこれを居城とした。しかし、城は高い山上にあるので、平素の居館は山麓に営まれていたのではないだろうか。写真の麓の立派なお宅の辺りなど、居館を営むにはよさそうである。
天文20年(1551)、那須高資が千本城に招かれ、そこで殺害されてしまうという事件が起こった。木須頼実の子であった康実は、高資に伴って千本城に赴いたため、この時に一緒に殺されてしまった。康実の二人の子供、与九郎と与八郎は、母方の実家である藤形輪館の羽田氏に引き取られていった。そのため、城主のいなくなった大木須城は廃城となったといわれる。
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小木須 は木須氏からの地名と解る。