中野晴生
http://www.harubow.com/album/koshonodensetu/KOSHO/24.html野々海池(下水内郡栄村)
千曲川と並行するように信越国境に聳える関田山脈。その山中にある野々海池(周囲四キロ、深度一六メートル)は周囲をブナの原生林に覆われた、細長いひょうたん型の池。
今は深い水をたたえているが、永仁の頃、大雨の夜に土石流が発生し、巨木や岩が押し寄せて、一夜にして広々とした河原になってしまった。堤を築き、再び池が蘇ったのは、昭和三十年のことである。
昔、野々海池(当時は布見が池)は信州一の大池だった。ある春の夜、池のそばに住む善右衛門の家に美しい女が訪ねてきた。
夢を見ているような面持ちの善右衛門に、女は自分が布見が池の主の化身であると告げ、善右衛門の家宝の名刀を借りたいという。善右衛門が訳を尋ねると、女は目に涙を浮かべながら、
「私は今宵、訳あって越後国の鴨が池の主と戦わなければなりません。その主は年も若く、今の私の敵ではありません。それを知る主は、彦左衛門の宝刀を借りて決戦に臨んでくるのです。いかに優れた私でも、名刀には勝ち目はありません。もし敗れれば、布見が池は荒らされてしまいます。どうか彦左衛門の宝刀に勝るとも劣らない希代の名刀をお貸しください」と話した。
善右衛門は美女の頼みを快く聞き届け、名刀を貸し与えた。女は礼を述べ、声を潜めて、明日の夕方までは他言無用に、と言い添えた。
しかし、善右衛門の妻が深夜になって、美女と夫の関係を問い詰める。ちょうどその頃、布見が池では二匹の蛇が激しい死闘を続けていた。
善右衛門が事の次第を妻に打ち明けた時、布見が池の主の刀は折れ曲がり、鴨が池の主の振り下ろした剣が、布見が池の主を刺し貫いた。
見る間に布見が池は真っ赤に染まり、やがて堰を切って池の水が流れ出す。そのなかを、断ち切られた布見が池の主の蛇身がころがっていったため、千曲川の流れが一時変わってしまったという。
◇長野駅から飯山線・平滝駅で下車。近くの野々海池入口から林道を入って約一○・五キロ。車なら国道一一七号線を通って、同じ入口を入る。