小中町の西を流れる旗川に古河橋という橋がかかっています。その橋の下に赤渕という深こに年とったカッパが住んでいました。
そのころ、村人のあいだでは、そのカッパのうわさでもちきりでした。
「どうだね、このごろ、畑あらしがあってこまるではないか。」
「だれのしわざだろう。」
「きけば、赤渕のカッパだそうだ。」
「そのカッパ、見たことあるか。」
「うん、あるよ、実はなあ、この間、馬に水あびさせようと思ってかわらまでいったところ、土手の上からするっとおりて、水の中にとびこんだのをこの目で見たよ。」
「それで、どんなやつだった。」
「それが、緑色の体をしていた。」
「頭に皿があったか。」
「いや、何しろすばやかったので、よく分からなかった。」
「ふうーん。」
「でも、何とかみんなで見つけたら、こらしめてやらなければ、畑があらされて困るなあ」
「どうしたらいいかなあ。」みんなして考えました。
「そうだ、いい考えがある。だれかが、畑の番小屋にとまって見はり、カッパがいたずらに来たら、つかまえてこらしめてやればいい。」
さて、その見はりの役をだれがやるかということが、問題になり、相談をした結果、いなかすもうでならした、馬を売り買いするばくろうの五郎平にたのむことにしました。
村人からたのまれた五郎平さんは、すいかやきゅうりの畑のまん中のやぐらのように床を高くした番小屋にとまることになりました。
やっと、五日目をむかえた夜明け前のことです。朝もやの中にぼんやりとあやしいかげが見えました。五郎平さんは、これはしめたと思い、川の土手の手前に体をふせて待ちぶせをしていました。
すると、竹やぶの中からカッパがあらわれました。頭のまん中に皿があり、かみの毛をふりみだし、こちらへ走って来ます。五郎平さんは、息を殺して、近ずくのを待っていました。
(よし、今だ。)
と、思ったしゅん間、五郎平さんは、持っていたカマをふり上げながらカッパの前におどり出ました。カッパも負けてはいません。持っていたうりを投げつけてかかってきます。その時です。五郎平さんはカマをふり下しました。
「ああ、いてて、いてて。」
カッパの右手が五郎平さんのカマで切り取られてしまいました。カッパは、む中で赤渕の方へにげて行きました。五郎平さんの切り落とした手は、ぬるりとした緑色です。そして水かきがついているのです。うす気味悪い手です。
五郎平さんは、その手をもって、見竜上人のところへ行きました。見竜上人は、たいへんなさけ深く、しかも学問のある人で、このあたりでは有名なお坊さんでした。カッパとのいきさつを話し、その手を上人様にあずけることにしました。
すると、その夜のことです。上人様の枕のそばで、さめざめと泣く者がありました。上人様が、はっと目を覚ますと、一ぴきのカッパが泣いています。
「わたしは、旗川に住むカッパです。けさ、うり畑をあらし、その帰りに五郎平さんに右手を 切り取られてしまいました。どうかその手を返してください。」と、泣きながらたのむのです。
「でも、お前は、畑をあらすだけでなく、子どもをちょくちょく川の中へ引きこむそうだが、 本当か。」
「はい、そんなこともしましたが、もう二度としませんから、どうか手を返してください。」
と、悲しそうにたのみました。なさけ深い上人様ですから、わるさをしない約束とともに手を返してやりました。
カッパは、何ども頭をペコペコさげて、やみの中へ消えてゆきました。
それからというもの村には、畑があらされたとか、子どもが川へ引きこまれたといううわさもなくなりました。
何年かの月日が流れ、見竜上人が大和の長谷寺へ修行に行く時、大和川があふれて川がわたれずに困っていました。そこにひょっこり小中のカッパがあらわれて、上人をせ中にのせて、川をわたしてやったといわれています。
解説「小中のカッパ」について
カッパが登場する話は「妖怪変化の話」としてあつかわれます。カッパは川や池に住む妖怪で、一般には頭の上に水をたくわえた皿があり、髪はオカッパ、腕は伸縮自在であるといわれています。カッパは、その性格から、水上様が零落したものと考えられています。本文は、栃木県連合教育会編「下野の伝説集(十三)「親だきの松」」昭和三十六年を参考にしました。
(佐野市教育委員会「佐野の伝説・民話集」より)
http://www.library.sano.tochigi.jp/minwa/konakanokapua.html