この昔話と似たような話が、昭和12年に出版された「若松市史」にも掲載されています。(コマ番号807/1559)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1256079/794?tocOpened=1「大鳥居の東、皇后ヶ淵の西、即ち江川筋の遠賀川より来る水勢と、洞海湾よりくる潮と行き逢ふ所を庄の江と言ふ。対岸即ち大字小敷の田圃中に低き丘ありて之に一本の老松あり。往時はここに橋架れりと言ひ伝ふれども今は其の痕跡だもなし。昔、一婦人此の丘より田圃を隔つる南方の山に咲き誇る此の地域特産と言ひ伝ふるヤラヲ躑躅(つつじ)を見、餘りの美しさに一枝手折りて家苞にせんとて大切に持ち帰りしが、ふと此の松の許に子を忘れたることを思ひ出し、探しに戻りたりと謂へり。仍つて松を子忘れの松、橋を子忘れの橋と謂へりと、母性愛を忘れしむる花の魔力を戒めたるものか。」
未来社の「福岡の民話」では、若松の梶島山に咲いているヤオラノ・ツツジに見とれた子守娘が、ツツジの花びらを摘みながら脇田の浜へ出てきたと書かれています。
脇田の浜の見かえりの松と小敷の子忘れの松とのあいだには、どのような関係があるのでしょうか?