むかし、琵琶湖の南に木ノ川という小さな村があった。その村にはキヨという娘が病気の母と二人で暮らしていた。キヨは病気で働けない母親の代わりに、百姓の手伝いや子守などをして暮らしを立てていた。キヨは朝早くから夜遅くまで働いたが、それでも生活は楽にはならなかった。そんなキヨの願いは、病気の母に真っ白い米の粥(かゆ)を食べさせてあげることだった。
そんなある日の夜、キヨが寝ているとキヨの夢枕に観音様が立ち、こう言われた。「明日の朝、草津川の一本松の所まで行ってみなさい。松の木の根元にお米が入った箱がある。その日食べる分だけのお米を持って帰りなさい。」
キヨが翌朝言われたとおり一本松の根元に行ってみると、そこには本当に古びた米びつがあり、中には真っ白い米がいっぱい入っていた。キヨは両手に一すくいの米を取ると、家に帰り早速病気の母に真っ白い米の粥を食べさせて上げた。それから、キヨは毎日お母さんに米の粥を炊いてあげた。
ところが30日ほどたったある朝、キヨの心に魔が差した。何日分かまとめてお米を貰うのも一緒だろうと思ったキヨは、家から持って来た袋に米をたくさんつめて帰った。するとその夜、キヨは深い谷底に落ちてゆくような夢を見た。翌朝キヨは胸騒ぎがして、一本松の根元行ってみると、なんと米びつの中身は食べられないような黒い粒に変わっていたのだった。
キヨは自分のしたことを後悔し、一心に観音様に自分の非を詫びた。それからキヨは前にも増して働くようになった。するとある夜、また観音様がキヨの夢に現れて不思議なお告げを下した。「米びつの中の黒い粒は、花の種だから蒔きなさい。夏になると青い花が咲くから、その花びらを摘んで汁を搾り、紙に染み込ませるとそれがきっと役に立つ。」
キヨは自分の過ちを許してくれ、二度までもお告げをくれた観音様に感謝して種を蒔いた。種は芽を出し、夏になる頃には長く伸びた茎から青い奇麗な花を咲かせた。キヨは観音様に言われたとおり花びらを摘み、その汁を搾り、紙に染み込ませた。そして夏が終わる頃には、たくさんの青い色をした紙が出来上がった。
そんなある日、京の友禅問屋の人が、その紙を分けて欲しいといってやって来た。キヨが作った紙は「青花の紙」といって、友禅染の下描きには欠かせないものだったのだ。キヨは紙を売ったお金でお母さんに薬を買って上げることができ、薬のおかげでお母さんの病気も良くなった。それから、この辺りの家では青花の紙を盛んに作るようになったということだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-7-9 9:39 )
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 国松俊英「滋賀県の民話」(偕成社刊)より |
出典詳細 | 滋賀県の民話(ふるさとの民話42),日本児童文学者協会,偕成社,1983年3月,原題「青花の紙」,採録地「草津市」,再話「国松俊英」 |
場所について | 滋賀県草津市木川町(地図は適当) |
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