むかし、岐阜県の恵那郡蛭川から福岡の高山に通じる若山道という峠に一軒の茶屋があり、若い夫婦が住んでいました。夫の万作は山に仕事に行き、嫁のお筆(ふで)は茶屋をして働き者で仲の良い夫婦でした。しかしそんな夫婦にも悩みがあって、連れ添って7年も経つのに子どもが授からないことでした。
そんなある時、夜になってどこからか赤ん坊の泣くような声が聞こえました。翌晩も赤ん坊の泣く声が聞こえてきましたが、お筆は自分があんまり子どもが欲しいと思っているせいで聞こえる幻聴だろうと思い込むことにしました。
しかし、それから6日もその泣く声は続き、お筆はどうしても気になって家を抜け出して声の元を探すことにしました。そして赤松林の間にある大きな石にそっと耳を当ててみると、なんと石から声がします。泣いていたのは石だったのです。
お筆は泣いている石をそっとあやして、乳を石に含ませてやりました。赤ん坊の居ないお筆に母乳がでるはずもありませんが、それでもお筆は泣いている石をそうやってあやすのでした。
お筆は夫の万作には内緒にして、それから毎晩、万作が寝てから石をあやしに行くようになりました。するとしばらくして、お筆の乳が張るようになり石はピタリと夜泣きをやめました。お筆は子どもを授かり、数ヶ月ののちに元気な男の子を産んだのでした。
夫婦は、子どもを授かったのは石のおかげかもしれないといい、石を大切に祀りました。その石は「夜泣き石」と言われるようになり赤松林の中の祠にいまでもあって、子どもの授からない人、子どもの夜泣きを直したい人、乳が出ない人などに御利益があるとして、たくさんの人がお参りにくるようになったということです。
(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-7-31 11:02)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 赤座憲久(未来社刊)より |
出典詳細 | 美濃の民話 第一集(日本の民話51),赤座憲久,未来社,1973年09月10日,原題「夜泣き石」,採録地「恵那郡」 |
場所について | 中津川市蛭川の夜泣き石 |
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