昔、徳島県は麻植郡(おえぐん)川田(かわた)の季邦(すえくに)という所に貧しいが働き者の夫婦がおり、二人は毎日食べるのにやっとの稼ぎだが別に不満もなく仲良く暮らしていた。
ある日、夫婦が朝飯を食べ終え畑に出かけようとすると粟飯が茶碗一杯分余ってしまった。女房が食べて片付けてしまうよう亭主に勧めるが、亭主は既に満腹だから夜まで残しておけばいいと言うので女房は粟飯を棚に置き、その日二人はいつものように畑に出かけ野良仕事に精を出した。
ところが夕暮れ時になり家に帰ってみると、棚の粟飯が茶碗を残し無くなっている。亭主が食べたのではないのかと女房は聞いてみるが、亭主は全く身に覚えがなく粟飯一杯の盗み食いぐらい気にする事はないと言う。女房も大して気に留めずその晩は笑って過ごしたものの、あくる日もまた一杯の粟飯が残り、それを棚の上に置くと畑から帰ってきた時には無くなっているのであった。流石に女房も不振に思い隣の婆さまの家を訪ねてみた所、婆さまは怪しい者は見かけなかったが「沼のナマズが跳ねた」と言う。
しかし女房はその言葉を真に受けず苛立ちながら家に帰ると、そんなに気になるのなら次は残らないように炊けばいいと亭主に諭されたので、次の日女房は言われた通りにいつもより少なめに炊いたが、やはり粟飯は一杯分残るのであの粟飯は神様にお供えする分だと亭主は割り切るようになった。それでも納得のいかない女房は日に日に炊く量を減らしてみるが、何故か決まって一杯の粟飯が残り仕事から帰ると綺麗に無くなるという事が続いた。ところでその年は村が凶作で作物があまりできなかったのだが、どういうわけか夫婦の田畑だけはいつもの年と変わらず実っていたのであった。
ある時、女房は粟飯の盗人を捕まえるため亭主を先に畑へ行かせ、竈の灰をかき出し土間中に敷き詰めて足跡から居場所を突き止めようとした。女房の思惑通り、二人が仕事から帰ってくると土間を何かが這いずり回った跡があり、それは隣の婆さまの家へ続いていた。前々から婆さまが怪しいと思っていた女房は、亭主が止めるのも聞かず急いで灰の跡をつけてみると、なんと婆さまの家の前で大鯰が体中灰に塗れてうずくまっていた。大鯰は怨めしそうに女房を見つめると、もがきながら側の沼の中へ飛び込んでいった。騒ぎを聞き付けた婆さまが女房から大鯰を懲らしめた事を聞くと、大鯰はこの沼の主であり、体のぬめりが無くなると死んでしまうので祟られても知らぬと婆さまは怯えて家に隠れてしまう。
そしてこの時から、夫婦の家では粟飯を炊いても腹が膨れる前には無くなってしまうので、炊く量を段々増やす内についに粟が底を突いてしまった。その上悪い事に女房が病の床に就いてしまい、亭主の看病の甲斐も無く女房は日増しに衰弱する一方であったが、ある夜、危篤のはずの女房が突然起き上がり自分はこの家の脇の沼に住む大鯰だと言い始める。大鯰は今まで一杯の粟飯の礼にこの家に救いを与えてやっていたが、女房から受けた仕打ちの仕返しとして女房に祟って取り殺してやると言うので、亭主は、決して悪気があってやったわけではないのでどうか女房を許してやって欲しいと懸命に願い出た。
亭主の願いが通じたのか、大鯰は女房に取り憑くのを止め女房はその場に倒れこんでしまう。やがて女房は意識を取り戻し、不思議と病も良くなっていった。その後二人は沼のほとりに祠を建てて大鯰を祀り、毎朝必ず残る一杯の粟飯を祠の前に置いたという。
(投稿者: お伽切草 投稿日時 2012-1-10 23:59 )
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 阿波の伝説(角川書店刊)より |
出典詳細 | 阿波の伝説(日本の伝説16),守川慎一郎,角川書店,1977年3年10日,原題「川田の鯰神」 |
場所について | 季邦のなまず神社(地図は適当) |
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