No.0974
えのきのそうじょう
榎木の僧正
高ヒット
放送回:0614-A  放送日:1987年09月05日(昭和62年09月05日)
演出:フクハラ・ヒロカズ  文芸:沖島勲  美術:田中静恵  作画:フクハラ・ヒロカズ
京都府 ) 21344hit
人間、人からどう呼ばれようが、大切なのは中身

昔、京都のある所にたいそう大きな榎木(えのき)を境内に茂らすお寺があった。この榎木の大木は遠くからもよく見え、寺の名物になっていた。

 
この寺の和尚は良覚僧正(りょうかくそうじょう)と言い、比叡山の大僧正まで務めたことのある立派なお坊さんであったが、それ故か人一倍自尊心も強かった。
 
そんな良覚僧正、ある日、街の人々が自分のことを良覚僧正と呼ばずに“榎木の僧正”と呼んでいることを知る。「自分よりも榎木の方がありがたいのか!?」そう思うと、僧正は榎木の僧正と呼ばれるのがどうしても気に食わなかった。
 
そこで僧正は、ある日植木屋を呼んで境内の大榎木をバッサリ切り倒してしまった。ところが榎木を切り倒したあとには大きな切り株ができた。人々はその上で茶会を開いたり、囲碁を打ったりして、切り株はたちまち街の人たちの憩いの場になってしまう。そして僧正は“切り株の僧正”と呼ばれるようになった。
 
これを知った僧正は、カンカンになって怒り、人夫を雇って切り株を掘り起こさせた。すると、今度は切り株を掘った後にできた穴に水がたまり、なんとも立派な堀池となった。この見事な堀池はまた寺の名物となり、いつしか僧正は“堀池の僧正”と呼ばれるようになった。
 
僧正はまたもカンカンになって怒り、人夫を雇って堀池を埋め、さらに念を入れて「当寺の僧正の名は良覚也。他の通り名で呼ぶべからず。」と書いた立て札まで立てた。さて、名物も無くなりさびしくなった寺であったが、なんと僧正は“立て札の僧正”と呼ばれるようになったのだ。
 
これを知った僧正、こんな風に呼ばれるのだったら、まだ榎木の僧正の方がよかったと、大きな榎木があった頃を思い出してはたいそう後悔したそうな。
 
(投稿者: やっさん  投稿日時: 2012-4-9 11:26)

ナレーション市原悦子
出典二反長半(未来社刊)より
出典詳細京都の民話(日本の民話41),二反長半,未来社,1965年10月10日,原題「榎木の僧正」,原話「徒然草」
場所について京の町
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※掲載情報は 2012/4/9 11:26 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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ゲスト  投稿日時 2017/2/27 12:56
仁和寺だよね?
マルコ  投稿日時 2013/7/29 22:27
「榎の僧正」を勉強したノートを発見したので、これから「徒然草・第45段…公世の二位のせうとに」を勉強する人の役に立てば幸いです・・・。

公世(きんよ)の二位(にゐ)のせうとに、良覚僧正(りやうがく そうじやう)と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。

坊の傍(かたはら)に、大きなる榎(え)の木のありければ、人、「榎木(えのきの)僧正」とぞ言ひける。この名然(しか)るべからずとて、かの木を伐られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡(あと)大きなる堀にてありければ、「堀池(ほりけの)僧正」とぞ言ひける。 

藤原公世の兄で、良覚僧正とお呼びした方は、極めて怒りっぽい人であった。

僧坊の傍らに、おおきな榎があったので、人は「榎木僧正」と名付けた。この名はけしからんと言って、僧正はその木を伐ってしまわれた。しかし、その木の根が残っていたので、人は「きりくいの僧正」と言った。僧正はいよいよ腹が立ってきて、切り株を掘り捨てたら、その跡が大きな堀のようになったので、人は「堀池僧正」と呼んだそうだ。 


「公世の二位」は、藤原公世。侍従。従二位に叙せられてから没するまで散位(さんに:位だけあって官職にないこと)だったので、このように呼ばれました。篳の名手として知られています。公世は兼好法師より70歳前後年長の人と思われ、少年時の兼好法師にとって、生前の公世は敬愛の情を捧げる相手だったのだろうか。

「せうと」は、兄。「背人(せひと)」(「背」は「妹(いも)」の対)で、姉妹から見た同腹の兄妹のこと。特に兄のことを指しています。

「良覚僧正」は、延暦寺の高僧。大僧正で歌人としても知られています。「僧正」は僧官の最上位で、大僧正、僧正、権僧正の3階級に分けられます。良覚が任じられた大僧正は、二位大納言に准ぜられる身分。

「坊」は、僧の住んでいるところ。僧坊。ここでは、僧正の住んでいたところ。「房」とも言います。

「榎の木」は、ニレ科の落葉高木で、高さ20メートル、幹の直径は1メートルに及びます。その高大さが目印となることから、古来、塚のしるしとし、後世は街道の一里塚などに植えられました。また、神木の一つとしても知られ、その下に神を祭る習俗があり、その神秘感によって、しばしば怪異譚にも出てきます。邸宅の戌亥(いぬい:北西)の隅に大木を植える習わしがありました。

「きりくひ」は、木の切り株のこと。
マルコ  投稿日時 2012/10/6 17:41
この話は学校の古典の教科書に載っていたから良く覚えてます・・・。

藤原公世、従二位の兄弟で良覚僧正とか言った人は、大変へそ曲がりだったそうだ。
彼の寺には大きな榎の木があったので、近所の人は「榎木の僧正」と呼んでいた。僧正は、「この榎の僧正というあだ名は良くない」と言って、その榎の木を伐採した。そして、切り株が残ったので「きりくいの僧正」とあだ名を付けられた。すると僧正はますます逆上して、今度は切り株までも掘り起こした。そして大きな堀ができた。その後、僧正は「堀池の僧正」になった。

良覚は僧正という僧の最高の位にある僧であり、優れた人格者で有るべき人物です。
ところが、この良覚さんは僧正に似合わず大変怒りっぽい性格であったんですねぇ~。
この話の面白いところは、高僧の愚かな行動と、それに対する世間の人のからかいの気持ちをうまく対比させてる所なんです。
「人間、人からどう呼ばれようが、大切なのは中身」まさにその通りだとマルコは思いますね。
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