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No.0872
みかえりのまつ
見かえりの松

放送回:0548-B  放送日:1986年05月17日(昭和61年05月17日)
演出:前田康成  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:前田康成
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若松の「子忘れの道」と「見返りの松」の話

昔、筑前の海辺の村々を行商して歩く、赤ん坊連れの女がいました。十年後、その赤ん坊はみなしごの娘となり、若松で子守奉公をしていました。

春になり、娘は春の陽気に誘われるように、花が満開の山へ入って行きました。つつじの美しさに、娘は思わず背中の赤ん坊をそっと草むらに降ろしました。すると、まるで羽でも生えたような身の軽さを感じて、夢中になって花の合間を飛び回りました。

ふと気が付くと、娘は今まで何をしていたのか思い出せなくなっていました。立ち尽くす娘の目の前に、大きな一本松が立っていました。その松を見ているうちに、娘はハッと思い出しました。「そうだ、子守をしていたんだった」慌てて赤ん坊のところへ戻ると、まさに野犬が赤ん坊に襲いかかろうとしていました。

娘は、飛びかかってくる野犬の鼻を噛み千切って、どうにか追い払いました。そして、もう二度と背中から赤ん坊を降ろさないと心に誓い、子守を思い出させてくれた一本松に感謝しました。その後、若松の人々は、つつじの道を「子忘れの道」、一本松を「見返りの松」と呼ぶようになりました。

(紅子 2011-12-7 0:58)


ナレーション常田富士男
出典加来宣幸(未来社刊)より
出典詳細福岡の民話 第二集(日本の民話52),加来宣幸,未来社,1974年04月25日,原題「見かえりの松」,採録地「若松区」,話者「藤木太三郎」
場所について筑前の若松の脇田(わいだ)の浜
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地図:筑前の若松の脇田(わいだ)の浜
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※掲載情報は 2011/12/7 0:58 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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Perenna  投稿日時 2020/6/21 23:58
この昔話と似たような話が、昭和12年に出版された「若松市史」にも掲載されています。(コマ番号807/1559)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1256079/794?tocOpened=1

「大鳥居の東、皇后ヶ淵の西、即ち江川筋の遠賀川より来る水勢と、洞海湾よりくる潮と行き逢ふ所を庄の江と言ふ。対岸即ち大字小敷の田圃中に低き丘ありて之に一本の老松あり。往時はここに橋架れりと言ひ伝ふれども今は其の痕跡だもなし。昔、一婦人此の丘より田圃を隔つる南方の山に咲き誇る此の地域特産と言ひ伝ふるヤラヲ躑躅(つつじ)を見、餘りの美しさに一枝手折りて家苞にせんとて大切に持ち帰りしが、ふと此の松の許に子を忘れたることを思ひ出し、探しに戻りたりと謂へり。仍つて松を子忘れの松、橋を子忘れの橋と謂へりと、母性愛を忘れしむる花の魔力を戒めたるものか。」

未来社の「福岡の民話」では、若松の梶島山に咲いているヤオラノ・ツツジに見とれた子守娘が、ツツジの花びらを摘みながら脇田の浜へ出てきたと書かれています。
脇田の浜の見かえりの松と小敷の子忘れの松とのあいだには、どのような関係があるのでしょうか?
ゲスト  投稿日時 2011/10/10 19:07
この女の子は本当に幸薄い子だね。孤児で生きていくのは、この時代ならなおの事大変だったろう。
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