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No.0858
ひねくればばとみょうじんさま
ひねくれ婆と明神様

放送回:0539-B  放送日:1986年03月15日(昭和61年03月15日)
演出:若林常夫  文芸:沖島勲  美術:安藤ひろみ  作画:若林常夫
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人は、いつまでも不幸を嘆かず、それを励みにして元気に暮らすべし

昔、石城(いわき)の見沼の里のある、合戸(ごうど)という所に、一人のひねくれ者の婆がいました。いつもこの婆は、明神さまへのお供え物を盗んで家に持って帰っていました。

それを見かねた隣の爺さんが優しく注意しましたが、婆は全く聞く耳を持ちませんでした。この婆は元々ひねくれていたわけでは無く、亭主の爺さんが死んでから「神も仏もありはしない」と、すねていたのでした。

ある時、村のご隠居さんが亡くなり、婆と隣の爺さんが葬式に行こうと一緒に歩いていました。すると婆は、葬式の日には通らない事になっている「明神さまの小道」をスタスタ通り始めました。隣の爺さんが引き止めるのも気にせず、明神さまの祠(ほこら)の前まで歩いて来ると、煙とともに巨大な明神さまが姿を現しました。

明神さまは「お供え物を盗んで喰った婆の舌をもらう」と言って、その姿は消えました。その時から、婆さんは口をきくことも食べ物の味を味わう事も出来なくなりました。心配した隣の爺さんがいろいろ励ますも、さすがに婆もバチがあたったとすっかりしょげていました。

ある夜の事。寝ている婆の枕元に明神さまが立ち「不幸を嘆かず、すねることなく励みにして過ごせ」と励ましました。そして、婆の口も元通りに戻してあげました。

それからの婆は、爺さんとの思い出を励みにして、末永く元気に幸せに暮らしました。

(紅子 2012-11-20 23:45)


ナレーション常田富士男
出典福島県
場所について合戸(地図は適当)
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地図:合戸(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/11/20 23:45 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2015/6/29 18:22
高戸部落 『永井の昔ばなし』より 2009年01月08日

昭和の終わり頃、いわき市三和町永井の人たちが地域の昔話を集め、
『永井の昔ばなし』という1冊の本を作りました。
とても素晴らしい内容の本です。
今回は、その中に収められた「高戸部落」という話を紹介します。
上永井のはずれ、中寺に近い部落を高戸と呼んでいます。
この部落は、平家の落人の住みついた所といわれ、落人達が山伏のいでたちで、背負って来た神様を小高い丘の上に祀り、そのまわりに一族が住みついて開墾したといわれています。
昔は、ここを広戸と云い、神社の戸を意味していましたが、いつのまにか高戸と変り、この一帯が高戸と呼ばれるようになったといわれています。

http://blog.goo.ne.jp/400nn500nn/e/294e6280a261ca0c40a1d9b6437c89e8
ゲスト  投稿日時 2015/6/29 18:01
 明神様の化物

 上永井のはずれ、高戸部落に、
杉の木立に囲まれた小さな明神さまの社があります。
 今でこそ県道が、その近くを通るようになりましたので、
高台とは云えなくなりましたが、
昔は道が川にそってついていましたので、
このあたりはこんもりと繁った丘になっていました。
 高戸部落の人々は明神様を中心に仲よく暮していました。
人々はそりゃ信心深くて、
月の十五日には、どんなに忙しい時期でも仕事を休んでおまいりし、
又、「初物」といって、その年初めてとれた作物や、
めずらしい物などは、明神様に供えてからでなければ
決して食べませんでした。
 そんな風でしたから、「明神様の道」とよばれる細い道は
部落内の近道で何かと便利な道でしたが、
不幸のあった時や、葬式の出入りや、赤ん坊が生れて七日の間は、
そこは通れないことになっていました。
 ところが、となり村から引っこして来た大工の家のバアさまは
そんなことはとんとおかまいなしで、
部落の人が供えた物はとって食べてしまうし、
十五日には、皆でなんぼすすめても、お参りもしませんでした。
 さて、ある夏の夕暮れのことでした。
部落の年寄りが死んで、とむらいの手伝いに行くことになりました。
皆は明神様の道は通らないのに、大工の家のバアさまは、
「バカバカしい」
と一人でそこを通って行きました。
すると、今までサヤサヤとやさしい音をさせていたしめ杉が、
ピターとなりをしずめたかと思うと、
モウソウ竹が、一せいに生物のようにざわめき出しました。
気の強いバアさまも、背すじが、ザワーッと冷水をかけられたようになって、
一歩も動けなくなってしまいました。
次のしゅんかん、しめ杉の上から身の丈が、
並の男のニ増倍もある太夫さまが下りて来て、
大手を広げてバアさまの前に立ちふさがりました。
さすがのバアさまも、目ん玉ひんむいて、ひっくり返ってしまい
心配してもどって来た人達に助けられたときには、
腰がぬけていざっていたそうです。
 それからは、バアさまも皆と同じように、
明神様を拝むようになりました。


明神様の化物   『永井の昔ばなし』から 2012年02月02日 いわき民話さんぽ
http://blog.goo.ne.jp/400nn500nn/e/3634a1189a7d5c66eda88545e5ad39a9
ゲスト  投稿日時 2015/6/29 17:36
合戸村周辺の歴史
三和地区 歴史
下市萱の竹之内遺跡は縄文時代早期(紀元前 6000 年頃)の竪穴式住居跡で、この地に集落があった ことが証明される。 嘉吉 2 年~寛正 7 年(1442~1466)頃は、いわき地方の国人領主が白川(結城)氏、石川氏等の周辺 国人を巻き込んだ争いの時期で、岩城氏が惣領主(=郡主)の地位を確立した。この争いの講和を推 進した白川氏は、宝徳 3 年(1451)好間(岩城)隆衡から長井村を譲られている。 天正年間(1573~1592)三阪氏が三倉城を、平山氏が中寺館にて統治。 寛永 11 年(1634)菊田郡泉藩領となるが、元禄 15 年(1702)泉藩は 2 万石から1万 5 千石となり、 減石された 5 千石は合戸村・渡戸村・三坂村・市ヶ谷村(市萱村)・中寺村で、この地は幕府代官所 の直轄支配となった。 寛延 2 年 (1749)常陸国笠間藩の領地(渡戸・中寺・下市萱・上市萱・上三坂・中三坂・下三坂・ 差塩)となるが、上永井、下永井は小名浜代官所の支配に置かれる。 明治 12 年(1879)戸長役場を中寺地内、差塩村地内に設置。 明治 22 年(1889)三阪村と沢渡村を組合村、永戸村と箕輪村を組合村として、事務所をそれぞれ下 市萱と合戸に置いた。 昭和 30 年(1955)永戸村は、沢渡・三阪組合村と合併し、三和村として発足した。
(参考文献:「いわき市史」、「新しいいわきの歴史」)
ゲスト  投稿日時 2015/6/29 16:31
御塚神社
鎮座地 いわき市三和町合戸字館下70
祭神 稲倉玉神(いなくらたまのかみ)
月夜見神(つくよみのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
例祭日 九月一日前後の日曜
摂社・末社 天照皇大神・大山祇社

神殿は周囲を竹矢来で囲まれ、四方の入口に丸太造りの鳥居が各々配される。本殿石祠の内部には石仏がまつられている。
勧請年等は不詳だが、もとから大字合戸字駅地区が中心となり祭典を執行していたものといわれる。当時の駅地区は上・中・下組がそれぞれ獅子頭を有し、三組の「三匹獅子」が毎年御塚神社に獅子舞を奉納していたといわれる。しかし、天明の大飢饉に際し、下組の獅子頭は遠野へ、上組の獅子頭は浮屋地区へ所有が移転した。それ以来、現在の形態での祭典が続いているといわれている。
獅子舞を奉納する個所は、御塚神社の他集落内の社寺(山ノ神…仁井宿地内、観音祭・地蔵様…浮屋地区)と霊峰水石山・閼伽井嶽である。神域は樹齢百年前後の杉と樅の森であり、好間川左岸の「舘ノ山」海抜三三〇メートル、丘陵山頂部に位置する。中世域館合戸館跡の中にある。
なお、御塚神社というのは、元来、「湯殿山御塚権現」のことである。

=いわきの鎮守様=
http://iwakinokamigami.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
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