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No.0079
あとかくしのゆき
あとかくしの雪
高ヒット
放送回:0048-A  放送日:1976年09月04日(昭和51年09月04日)
演出:杉田実  文芸:境のぶひろ  美術:内田好之  作画:高橋信也
ある所 ) 78496hit
あらすじ

昔、ある所に貧しい村がありました。この村近くの山が三年程前に噴火したので、火山灰の被害により作物がとれなくなっていたのです。

ある時、この村に、お腹ぺこぺこの旅人がやってきましたが、どの家にも食べ物を分けてあげる余裕はありませんでした。とうとう旅人は、村はずれで倒れてしまいました。そこへ、一人暮らしのお婆さんが通りかかり、可哀そうな旅人を家に連れて帰り、わずかばかりの雑炊をご馳走してあげました。

しかし、たった一口の雑炊ではとても足りず、もう少しだけ何か食べさせてあげたいと、お婆さんは考えました。そこで、お婆さんは庄屋の畑から大根を引き抜いてきて、大根汁を作って食べさせてあげました。

翌朝、お婆さんはまだ夜も明けぬうちに旅人を起こし、早々に旅立たせました。その頃、早起きの庄屋が、荒らされた自分の畑と火山灰のおかげではっきり残っている足跡を見つけました。足跡はそう簡単に消えはしないので、庄屋は一旦家に戻って、夜が明けたころに代官所へ向かう事にしました。

やがて日が昇り、庄屋が支度をして家を出ると、なんと雪が降っていました。まだ雪が降るのにはひと月も早いのに、そして空は晴れていたはずなのに、不思議な事でした。足跡はもう見えなくなっていました。

(紅子 2011-9-27 2:33)


ナレーション市原悦子
出典(表記なし)
DVD情報DVD-BOX第3集(DVD第14巻)
VHS情報VHS-BOX第3集(VHS第25巻)
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追加情報
本の情報サラ文庫まんが日本昔ばなし第16巻-第076話(発刊日:1977年6月15日)/講談社テレビ名作えほん第032巻(発刊日:1980年11月)
サラ文庫の絵本より絵本巻頭の解説には地名の明記はない
講談社の300より書籍には地名の明記はない
このお話の評価9.7500 9.75 (投票数 56) ⇒投票する
※掲載情報は 2011/9/27 2:33 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
10件表示 (全35件)
ま  投稿日時 2020/12/13 10:06
一番好きな話しー
ゲスト  投稿日時 2020/7/9 6:59 | 最終変更
>個人的に一番もやもやする昔話だー。
>庄屋さんが一番被害者で、しかも泣き寝入りで
>何の教訓があるんだこの話は、と思っていました。


まず,ルールが本来何のためにあるのかを考えなければならない。
人が皆幸せになるためにあるはず。
ルールの根源の精神を理解している人間であれば
目の前の弱者を救えないルールを前に
ものすごい葛藤を感じるはず。
ルールは絶対でも万能でもない。
救うべき人を救えないということも有る。
持てるものを守り、
持たざるものをイジメる結果になる状況において
そのルールに価値はあるだろうか?
それはルール本来の精神に反していないだろうか。
目の前の人をルールにのっとって見殺しにするのと
ルールを破ってでも救うことと、
どっちがルール本来の目的に沿っているのかを考える必要がある。
なので,真剣にルールを認識している人ほど
まずは大いに悩むはずなのだと思う。

個人的には,もしも,登場人物が庄屋ではなく,
餓死寸前の困窮者ばかりであれば悩む余地もあるけれど、
庄屋は腐っても庄屋。直ちにそれで困窮するわけではない。
損をした人,救われた人,それぞれ居るけれど。
この話では最も多くの人が救われる最適解で終われたのでは無いだろうか。

ま,セフティーネットのない時代だからこそのお話だけど,
現代にも通じるいいお話だと思う.
ゲスト  投稿日時 2020/5/23 14:52
そんな風に捉える人もいるんだということに、少し驚きました。

今でもまだ、モヤモヤしますか?

人の感情は日々変化するので、書き込みから数年たって、今どんなふうに感じるか気になりました。
yas2122  投稿日時 2020/3/26 12:48
なにが善で、なにが悪か・・・考えさせられる物語だと思う。
日本昔ばなしの中で、特に今でも印象に残っている。
ゲスト  投稿日時 2019/10/19 20:37
あとかくしの雪だったんだ。
この話。

憶えてるのは当時大根嫌いで食わなかったんだけど。
この話の、旅人が湯でさらしただけの大根を
ホフホフ、そう、ホフホフしながら食べるの見て
大根好きになった。

ちなみに昔、土曜半日の時代に母親がいつも昼飯
お手軽なインスタントラーメンばかりで嫌いになったんだけど、
当時やってた銀河鉄道999と魔法少女ララベルのビスカスの
おかげで好きになった。

アニメの影響力でかいわ。
ゲスト  投稿日時 2018/4/14 21:31
デコッパチ婆さんすげぇ
ポン  投稿日時 2018/4/13 3:08
自己犠牲という言葉を超越しているというか、そんな次元ではないように感じました。

犠牲になってる感覚なんてなくて、息を吸うようにしごく普通に、罪を犯してでも何か食べ物を作ろうと思うんだろうな。

何かやってあげたいとか、そういう上からでなく、腹へりの子、イコール、食べ物作る、みたいな、ある種、条件反射的にこういう事ができる、人間の凄さを感じました。
ねぎたろう  投稿日時 2017/2/27 15:31
涙が出ました。いろいろな要素がこの話をすばらしいものにしていると思います。全体的に「間」の使い方が非常にうまいと感じました。会話の途中に流れる沈黙、景色だけを映す数秒間。ただの空白ではなく、実に雄弁な、意味のある間です。寡黙で一見親切には見えないおばあさん、気は良いが所詮無力な飢えた旅人、善行を見守る神などの「不在」、そうした空白というか、一見何かが欠けているように見える、そういう要素がこの話をいうなればちょっと押しつけがましい「感動もの」になるのを防いでいて、観る側の心をじわじわと震わせるのではないでしょうか。物語の終盤で雪が静かに降り始めるシーンは、ことばを失うほどにすばらしかったです。
ゲスト  投稿日時 2016/11/28 15:15
日本昔ばなしの世界では基本的に「ケチ=悪」ですが、この話の場合は事情があって
庄屋も自分の家族や使用人の食い扶持を守るためには非情にならざるを得ないでしょう。
だからこそ、神様も庄屋に何らかの罰を与えたりおばあさんに褒美を与えるのではなく
「あとをかくす」だけにとどまったのではないでしょうか。
愛善院  投稿日時 2016/8/21 19:10
「たいしこ団子」だともう少しお婆さんが救済されていたようですね。
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