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No.0642
ゆきひめもみじひめ
雪姫・紅葉姫
高ヒット
放送回:0403-A  放送日:1983年07月30日(昭和58年07月30日)
演出:芝山努  文芸:沖島勲  美術:門野真理子  作画:芝山努
写真あり / 栃木県 ) 41244hit
あらすじ

むかし、下野の国(しもつけのくに)に源じいという百姓がおりました。百姓といっても源じいは三度の飯より網打ちが好きで、よく川に行っては一日中網打ちをしておりました。

ある夏の夕暮れのこと。釜ヶ淵(かまがふち)と呼ばれる、切り立った崖に囲まれた深い淵にたどり着きました。この淵の上には、その昔勝山の城があり美しい姉妹姫が居ました。姉が紅葉姫、妹が雪姫と言い、この二人の姫は、戦で両親も殺されて、敵に追い詰められこの淵に身を投げてしまったという言い伝えがありました。

源じいは、少し薄気味悪くなりながらも網打ちを続行していると、やがて船の周りに美しく鮮やかな緋鯉と雪のように真っ白な鯉が現れました。源じいが投げた網にかかった真っ白な鯉は、淵の底に引きずり込むようなすごい勢いで網を引っ張りました。

源じいはやっとの思いで真っ白な鯉を船に引き上げ、立派な鯉に大満足して家路につこうと船を漕ぎ始めました。すると、どこからともなく「雪姫、雪姫」と呼ぶ若い女の声が聞こえ、源じいの船はあっというまに転覆してしまいました。船から逃げ出した真っ白な鯉は、大きな緋鯉と寄り添うように淵の奥へと姿を消して行きました。

翌朝、源じいが気が付くと淵よりずっと下流の岸辺に投げ出されていました。源じいは夢でも見たのだろうと思いましたが、それっきり大好きだった網打ちを一切やめてしまいました。

今でも、釜ヶ淵では美しく鮮やかな緋鯉と雪のように真っ白な鯉が、淵の深くに潜んでいて、時々寄り添って水面まで上がってきては仲良く泳ぐのだそうです。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-7-16 16:57)


ナレーション市原悦子
出典松谷みよ子(角川書店刊)より
出典詳細乱世に生きる(日本の民話08),松谷みよ子,角川書店,1973年2年10日,原題「雪姫・紅葉姫」,伝承地「栃木県」
現地・関連お話に関する現地関連情報はこちら
場所について下野の国(しもつけのくに)の勝山城
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地図:下野の国(しもつけのくに)の勝山城
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※掲載情報は 2012/7/16 22:58 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
6件表示 (全16件)
マルコ  投稿日時 2012/7/25 22:44
いつもいつも栃木の昔ばなしのあらすじ投稿をしてくれてありがとうございます。
雪姫と紅葉姫が飛び込んだ釜ヶ淵は現在、埋め立てられしまったのでありません。
マルコ=マルコビッチが撮影した写真の右端に池のようなものが映っていますね。その池は雪姫と紅葉姫が飛び込んだ釜ヶ淵の遺構?で池のほとりには雪姫と紅葉姫の悲しい物語を刻んだ石碑があります。
昔ばなしでの勝山城はまるでアマゾンの奥地のように木が生い茂っている中にそそり立っている不気味な城跡として描かれていますが、現在は公園と美術館が整備されていて町の人の憩いの場所になっています。
二人の姫が飛び込んだと思われる勝山城の北西の端からの景色はマルコのお気に入りです。晴れた日は雄大な鬼怒川の流れと青い日光の山々が一度に見えてとても気持ちがいいんですよ。
それから、勝山城の近くには「そうめん地蔵」と呼ばれるお地蔵様があって。
そのお地蔵様は栃木の昔ばなし一つである「そうめん地蔵」に登場する地蔵様なんです。
現在「そうめん地蔵」があるお寺は無人のお寺になっていて、氏家氏の役場に届け出をすれば・・・見せてくれるそうです。

マルコの話を「雪姫・紅葉姫」のあらすじを投稿してくれたもみじさんにお礼として贈りたいと思います・・・。
beniko  投稿日時 2012/1/19 0:32
ふむふむ。情報提供ありがとうございます。行ったことない場所なので、想像するだけでも楽しいですね。マルコビッチさんは、自転車で出かける事もあるとの事。もしも先々行く事があったら、写真撮って見せて下さい。(強要してはいませんよ、変に構えないでくださいね)
マルコビッチ  投稿日時 2012/1/18 22:38
勝山城について調べてみました!!

勝山城は宇都宮城主の一族氏家君頼が築いた城で、宇都宮の東北を守る役割を果たしていた。
城の西側は断崖で、下を流れる鬼怒川が淀みをつくり、釜ヶ淵と呼ばれていた・・・。

時代の流れとともに鬼怒川の流れ自体も大きく変わってしまいました・・・。
この物語の当時は 昔ばなしの絵のように アマゾンの奥地のように木が生い茂っている
不気味な場所だったんでしょうね・・・。
釜が淵が埋め立てられる前までは、夜、釜ヶ淵で釣りをしているとボーっと姫の幽霊?が出たなんて話もあったようですよ・・・。 

こうした伝説も忘れ去られようとしていますが、このようなすばらしい伝説があったことを後世まで残していきたいものです・・・。
マルコビッチ  投稿日時 2011/8/28 0:02
勝山城のすぐ脇にあったそうですよ・・・。
私も釜ヶ淵があったという場所まで行ってきました・・・。
たしかに小さい池と釜ヶ淵があったことを記している石碑がありました。
鬼怒川と緑川だったけかな・・・?
二つの川が合流していた場所が釜ヶ淵だったそうです。
この釜ヶ淵は昔はとっても深い淵だったそうで、竜宮城までつながっているという伝説が残っています。
その民話の題名は・・・たしか・・・「竜宮の椀」だったと思います。
でも・・・鯉になったという二人の姫様は
いったいどこに行ってしまったのでしょうか?

beniko  投稿日時 2011/8/4 4:45
その釜ヶ淵とは、どの辺なんですか?
姫達がいた「勝山城」のすぐ脇かなあ。
ゲスト  投稿日時 2011/8/3 20:01
釜ヶ淵って名前だ・・・姫様が飛び込んだ淵ってのは・・・。
今じゃ・・・埋められて小さい池があるだけだ・・・。
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