放送回 | No.0625(0392-A) |
放送日 | 1983年05月14日(昭和58年05月14日) |
出典 | 岸なみ(偕成社刊)より |
クレジット | 演出:小林三男 文芸:沖島勲 美術:関口良雄 作画:上口照人 |
ナレーション | 市原悦子 |
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昔、備前の国に小さな寺があった。この寺の和尚は怠け者で、毎日酒ばかり飲んでおった。
ところでこの寺では最近、夜中に奇妙な音が台所の方から聞こえてくるのじゃった。ある夜、たまりかねた和尚と小坊主は、音の正体を突き止めるために台所へ忍び寄った。するとなんと、腰の曲がった徳利(とっくり)が、水瓶の水をごくんごくんと飲んでおるではないか。驚いた和尚が訳を尋ねると、徳利はとつとつと話しはじめた。
『わしは越後の生まれでな、物心つくころから草鞋を編んで貧しい暮らしをたてておった。それで、気がついてみたら、すっかり年取ってしまっておった。「もうじき死んでしまうだろう。ああ、せめて、今度生まれてくる時には、徳利になって好きな酒を腹一杯飲んでみたいもんじゃ。」と思うたんじゃ。それで、墓の土で徳利を造るという備前の国へ行って死んで、墓の土になろうと思うたんじゃよ。
そうして長い旅をして、わしはようやく備前の国に着いたんじゃ。じゃが、ふと不安になったんじゃよ。「そんなに簡単に墓の土になれる訳はない。」とな。どんなことをしても墓の土になり、備前徳利にならなけばならんのでなぁ。そこで、わしは墓に穴を掘り、土を自分にかぶせながら祈ったんじゃ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……』
こうして長い年月をかけて墓の土となり、望み通り備前徳利となった徳利爺さんじゃったが、どうしたことかガラクタ市で小坊主に買われ、腹一杯醤油を流しこまれたのじゃった。徳利爺さんはがっかりするやら、しょっぱいやら、どうにも我慢できんようになって、夜な夜な水を飲んでいたのじゃった。
和尚と小坊主は『何事も一念をもってやりとおせば必ず望みが叶う』ということを身をもって伝えた徳利爺さんを、この寺の宝として大切にし、いつもお酒を腹一杯飲ませてやったそうじゃ。また、和尚は心を入れ替え、それからは朝夕の読経を絶やすことがなかったという。
(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2012-4-13 22:48 )