No.0567
かみなりさまのびょうき
雷様の病気
高ヒット
放送回:0355-A  放送日:1982年08月21日(昭和57年08月21日)
演出:こはなわためお  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:塚田洋子
写真あり / 栃木県 ) 58432hit
あらすじ

昔、下野の国の粕尾(かすお)に天下に名高い智玄和尚(ちげんおしょう)という医者がいた。

ある夏の日の昼下がり、和尚が弟子と歩いていると、にわかに空が掻き曇り、大粒の雨が降り出した。やがて近くに雷も落ちはじめ、和尚は大急ぎで寺へと帰った。

さて、寺に帰った和尚であったが、雨戸も閉めずになにやら雷鳴に耳を傾けている。「ほほぅ、この雷様は病気にかかっとるわい。」さすがはその名を天下に知られた名医、雷鳴を聞いただけで、雷様の体の具合まで分かってしまうのだ。

その晩、和尚が寝室で寝ていると、果たして昼間の雷様が和尚を訪ねてきた。雷様が言うには、和尚の見立ての通りここ数日具合が悪いのだそうだ。そこで名医と言われる和尚に、治療を頼みに来たのだった。

和尚は雷様を寝かせると、雷様のお尻とお腹にお灸をすえた。あまりのお灸の熱さに暴れまわる雷様だったが、お灸が終わってみれば体も軽くなり、病気もすっかり治っていた。喜んだ雷様だったが、何しろ天下に聞こえた名医、いったい治療代をいくら請求されることやら心配していた。すると和尚はこう言った。「金はいらん。その代りにお前にしてほしいことが二つある。」

一つは、今後ここ粕尾には雷を落とさないこと。もう一つは、大雨のたびに洪水を起こす粕尾川の流れを山側に移すこと。これを聞いた雷様は、お寺から家々に雷除けのお札を配れば、そこには雷を落とさないと言い、また川を移してほしい場所にサイカチの木を目印に植えるよう言い残して天に帰っていった。

そこで和尚は雷様に言われた通り、寺からお札を配り、村の人々を集めて山のふもとにサイカチの木を植えた。するとその日から七日七晩雨が降り続き、七日目に雨が上がると、何と元の粕尾川は干上がり、山側のサイカチの木の横に流れを変えていた。雷様は立派に和尚との約束を果たしたのだ。

それからというもの、粕尾の里は洪水に悩まされることもなく、落雷の被害も無くなったということだ。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2012-5-19 10:30)


ナレーション常田富士男
出典栃木県
DVD情報DVD-BOX第12集(DVD第56巻)
現地・関連お話に関する現地関連情報はこちら
場所について常楽寺(瑠璃光山蓮照常楽寺)智玄和尚のまつられた寺
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地図:常楽寺(瑠璃光山蓮照常楽寺)智玄和尚のまつられた寺
追加情報
本の情報講談社デラックス版まんが日本昔ばなし第34巻(絵本発刊日:1985年07月15日)/講談社テレビ名作えほん第044巻(発刊日:1981年4月)
絵本の解説これは「録事法眼(ろくじほうげん)」として天下にその名を知られた、智元和尚(ちげんおしょう)にまつわるお話です。腕のいい医者でもある和尚さんのところに病気の雷さんが治療を受けにきました。和尚さんは丁寧に治療し、治療費のかわりに二つの頼みごとをしました。それは、村に雷を落とさない事、川の流れを変える事、という二つでした。土に生きる村人たちがもっとも恐れるのは、この洪水です。なにしろ一瞬にしてすべてが根こそぎ台無しになってしまうのですから。自然よ、いつもおだやかであれ、という人々の切なる願いが、この話にはにじみでています。(栃木地方のお話)(講談社のデラックス版絵本より)
講談社の300より書籍によると「栃木県のお話」
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※掲載情報は 2012/5/19 10:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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yassan  投稿日時 2012/5/27 11:25
いえ、どういたしまして(^^
マルコ  投稿日時 2012/5/26 15:49
あらすじを書いてくれてありがとう!!栃木のマルコは感謝してます!!
現地の写真とあらすじがそろったので完璧ですね!!
beniko  投稿日時 2012/3/5 23:57 | 最終変更
マルコビッチさん、それはメルアドじゃありません。
紅子のフェイスブックのメルアドに送ってください。
マルコビッチ  投稿日時 2012/3/5 23:43
この間、メールに写真をつけて送ったんですが・・・。
紅子さんの所に届いていますか?
http://nihon.syoukoukai.com/modules/ccenter/
を宛先にして送ったんですが・・・。
beniko  投稿日時 2012/2/12 3:45
良いお天気で良かったですね、きっと人も多くて賑やかだったのでしょうね。
写真の提供も、ありがとうございます。暇な時で良いです。

●画像のやり取りはメールで行いますが、こちらから連絡するためのメアドをこのサイトの問い合わせフォームから送信して下さい。そしたら、紅子から折り返しますので。
●紅子もちょっと今忙しい時期なので、一からメール送受信方法を伝授するのは大変ですので、どっかそういった指南サイトを見つけて練習してみて下さい。
よろしくお願いします。
マルコビッチ  投稿日時 2012/2/11 14:41
紅子さーん!!
常楽寺に行ってきましたよ!!

粕尾の里の空は雲ひとつ無い快晴で雪は積もっていませんでした!!

青い空の下 お寺の赤い旗が気持ちよさそうに風になびいていて
大勢の老若男女がお寺の参道を歩いていました・・・。

マルコビッチ一家がお寺に行った時 智玄和尚をお祭りしているお堂で
祈祷をやる少し前だったので・・・

なんと幸運な・・・!!と御札のお布施をして お堂の中へ・・・

薄暗いお堂の中に入って大勢のお年寄りに囲まれて座っていると・・・
お寺の住職さんが紫の法衣を着て 登場。

住職さんに続いてウコン色の法衣を着た4・・5人のお坊さんたちが入ってきて
お経を読みながら お堂の床がビリビリとするぐらい太鼓をドンドンと叩いて
その中で住職さんが 真っ赤に燃える火柱の前で 
御札を火にかざして祈祷をしてくれました。

マルコビッチの中の悪いものが祓われた気がしました・・・。

それから 秘仏の地蔵菩薩と観音菩薩を拝見しました・・・。
この仏様は 修理のためシナの国へ渡っていたそうなんですが
最近、修理が終わってお寺に帰ってきたそうです・・・。
(お寺のお手伝いに来ていたお爺さんの情報)

それから 祈祷の終わった御札をいただいてきました・・・。

お寺の方にお話を伺ったところ・・・
昔ばなしで放送されたことを知っていたみたいです・・・。

常楽寺は彼岸花の名所として 栃木県では有名な場所なので
「栃木県・鹿沼市・観光・常楽寺」で検索すれば
彼岸花の咲いている常楽寺の写真があると思います・・・。

私も写真をとってきたので・・・
紅子さんの所に送る方法を教えてください!!
本当にマルコビッチは一度も誰かにメールを送ったことがないので・・・。
方法がわからないのです・・・。

一から教えてください!!
お願いします!!

でも・・・マルコビッチも色々と用事があって忙しいので・・・
方法を教えてもらっても 写真を送るのはだいぶ遅れてしまうと思います・・・。
そんなに急いではいないので・・・また後にでも教えてください!!
マルコビッチ  投稿日時 2012/2/10 23:20

恥ずかしいことに・・・マルコビッチはメールに関して 
やったことが無いので・・・
もし、わからないことがあったら
紅子さんにお尋ねしながら・・・メールのやり方(写真をどうやって送るのか)
教えてもらってもいいですか・・・?

マルコビッチは・・・今までインターネットに関して抵抗があったものですから・・・
まったく知らないんです・・・。

よろしくお願いします・・・。
beniko  投稿日時 2012/2/10 23:01
おー、もしもお札をゲットできたら写真など撮って提供してください。是非とも、お話ページに写真を掲載したいですね。(お寺外観の写真も撮れるならお願いします、雪が積もってるかなあ)
マルコビッチ  投稿日時 2012/2/10 22:56
ええっと・・・
明日、2月11日は常楽寺の縁日で
昔ばなしにも登場した雷よけの御札が
参拝者に配られるそうなので・・・
家族で参拝に行ってこようと思います・・・。

お寺の方にお話聞けるといいな・・・。
お札もいただけるとありがたいですね・・・
栃木県は雷が本当に多い土地でして・・・
電化製品がバンバン雷でやられるし・・・
マルコビッチの家の近くにもバンバン雷が落ちるので・・・

(マルコビッチが幼い頃 隣のマンションの工事をしていた時 工事の鉄骨に雷が落ちて
ゴロゴロ!!バチバチ!!ビリビリ!!ってなったことがあります!!
母とヒョエー!!って驚いた覚えがあります・・・。(笑))
マルコビッチ  投稿日時 2011/12/14 21:39
私のほうで色々探してみたところ・・・「智玄和尚」についてこんな情報を見つけました!!


中野智玄(なかの ちげん)は、安蘇郡粕尾村(旧粟野町 現鹿沼市)の人です。
 12世紀後半の頃の名医と言われています。

 智玄には、一人娘がいましたが、難病に罹ります。
 彼は懸命に治療しましたが、快方に向かわず、このため、娘を病気治療の旅に出します。
 旅に出て、娘が野宿をしていると、夢枕に白髪の老人が現れ、
 吹上村(現栃木市)の伊吹山のヨモギで灸を据えれば治る旨伝えます。
 娘は、老人の言葉に従い、伊吹山でヨモギ草を採り、17日間灸を据えると、病気が平癒しました。

 娘は家に戻り、両親へ一部始終を報告しました。
 智玄は、娘の完治を不思議に思い、その訳を知るため、解剖したいと娘に頼みます。
 娘は父親の頼みを受け入れ、母親がいない間に解剖して、腹部に鳥の形をした所を見つけ、
 その嘴の所に灸が据えてあるのを見つけます。

 しかし、彼は帰宅した母親に責められ、家を出てしまいます。
 諸国を巡っている内に都に着き、後鳥羽院が難病に罹り、誰もが治せないでない事を耳にします。
 智玄が参上し、薬を処方したところ、たちどころに院の病気は平癒しました。
 このため、彼は「録事法眼」という法号を賜り、更に粕尾郷を与えられます。
 智玄は、粕尾郷の領主となり、安楽に暮らしができるようになります。
 しかし、妻は、娘の命を奪った事を忘れず、出家してしまいます。

 智玄は多くの人々の病を治し、雷様の病気を治したとの伝説もあります。
 しかし、1190年(建久元年)、智玄も没します。
 現在、瑠璃光山蓮照常楽寺に祭られていて、
 毎年2月11日には録事尊大祭として多くの参拝客を集めているそうです。

 彼が実在した人物なのかどうかは分かりません。
 彼が娘を解剖したのが事実だとすると、日本最初の解剖となると思います。
 しかしながら、中野智玄の実績は、旧粟野町周辺の地域で知られているだけのようです。

・・・とまぁこのような情報なのですが・・・今度、機会があったら鹿沼市の粟野町に
行って現地で情報収集したいです!!
後は・・・栃木県立博物館の民俗学の先生にでもお聞きしましょうかね・・・?
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