No.0554
ねねこかっぱ
ねねこ河童
高ヒット
放送回:0347-A  放送日:1982年06月26日(昭和57年06月26日)
演出:芝山努  文芸:沖島勲  美術:門野真理子  作画:芝山努
茨城県 ) 37844hit
人間の若者に惚れた河童の女親分の話

昔、利根川のほとりに加納新田(かのうしんでん)という所があり、そこに近隣の河童の親分衆の総元締めとして君臨していた女親分の「ねねこ河童」という河童がいた。

ある夏の終わり、このねねこ河童が重大な発表をするとの事で近隣の名立たる河童の親分衆が立崎(たつざき)の渡し舟の上に集まった。親分衆はついに人間達との一大決戦かと緊迫していたが、ねねこ河童の口から出た言葉は元締めの役を誰かに譲りたいという引退宣言であった。

これを聞いた親分衆は驚き一体何故辞めるのか理由を聞くと、ねねこ河童は次の出来事を話し始めた。ある晴れた日の事、中谷(なかや)の原っぱで若者が馬を杭に繋ぎ気持ち良さそうに眠っていた。馬の尻コ玉抜きの名人であるねねこ河童はこれを見て、早速馬を川に引き込み尻コ玉を頂こうとまずは馬の尻尾の毛を引っこ抜いた。

ところが何度尻尾の毛を抜いても、馬は暴れるだけで肝心の杭が抜けない。これは杭が深く打ち込んであるに違いないと思ったねねこ河童は、無我夢中で杭を引き抜いていた所を後ろから若者に殴られてしまう。実は全て、若者が寝た振りをして仕掛けた罠だったのである。

この時の怪我が元でねねこ河童の頭の皿は割れてしまい、若者に命だけは助けてもらったものの頭の皿がないため、元締めどころか河童を辞めざるを得ないのだという。しかし、話を聞いた親分衆の一人が「本当はその若者が好きになったのでは?」とねねこ河童に問いかけた。

ねねこ河童はしばし沈黙するも、自分は命を助けてもらったお礼に加納家の若旦那である若者の下で働く事を告げると、船先から利根川に飛び込んでいった。残された親分衆はただ後を見送るのみであり、陸に上がって加納家に住み着いたねねこ河童はそこで一生働いたという。

(投稿者: お伽切草  投稿日時 2012-12-29 20:20 )


参考URL(1)
http://hetappi.info/fantasy/encyclopedia/neneko.html
参考URL(2)
http://toneponpokou.tanuki-bayashi.com/kanoushinden/index.html#neneko
ナレーション市原悦子
出典茨城県
場所について加納新田(地図は適当)
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地図:加納新田(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/12/30 21:04 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
9件表示 (全9件)
審神者なるもの  投稿日時 2018/5/15 11:03
ねねこ河童見て思ったのが全然関係がないけど祢々切丸(ねねきりまる)っていう刀剣の由来がネネという妖怪を退治したことから付けられたというのを思い出した。

自分が調べる限り結果は妖怪しかなくて一部はネネという悪戯好きの河童になってるけどこの【ねねこ河童】は頭の皿を割られてるだけだしそれに住みこんで働いてる。

祢々切丸に退治されたネネってねねこ河童のことなのかな?それとも違うのかな…。
ゲスト  投稿日時 2014/10/13 22:04
九州を根城にしていた西日本のカッパの頂点・九千坊に競り勝ったという伝説もあるからなこのねねこさん
何故男ではなく女カッパがここまで強い伝説ができたのか、理由が知りたいものです
ゲスト  投稿日時 2013/6/22 16:37
ネネコねえさんは、利根川にすむという女のカッパのおやぶんだ。カッパの中で日本一強いというウワサもあり、ネネコのいる近くでは必ず悪いことがおきるのだという。

 茨城県の利根町では、このネネコをまつっている家もあるらしい。いくら悪いカッパとはいえ、じもとの人の間ではしたしみのあるカッパなのだろう。

<妖怪情報より>
・ネネコかっぱは、「弥々子河童」と書く。弥々子河童 は、利根川に棲む女河童。顔つきは猫に似ていて、性格は豪快で、気風がいい。相撲を好み、怪力をふるう。茨城県利根町の祠に祀られている。とても巨乳(笑)(みーな)
・暴れ者だったけど、ある日すもうで負けて罪を洗い流 した(維夜)
マルコ  投稿日時 2013/6/22 16:34
千葉妖怪伝説「その十六 ねねこ河童は本当に、河童界一の親分なのか?」という記事より引用。

かつてプロレス界では、最強と言われるレスラーが随分と存在した。新日本プロレスファンは猪木、或いは坂口を推奨し、全日本プロレスファンは馬場、鶴田を絶賛した。米国ではテーズ、ゴッチから、デック・ハットン、ビル・ミラーなどが最強と噂され、金網デスマッチだと”やはりラッシャー木村が最強だろう”と、無茶な理論を主張する者もでる始末(笑)多くのファンが贔屓のレスラーを”最強”と信じ、日々口々に論争していた時代があった。

 なおこの”一番強い”とか、”一番の親分”とかいうファジーな称号は妖怪界にも存在する。これは様々な本で主張される事だが、四国の化け狸の親分は”行部狸”と言われている。何をソースにした”四国化け狸の親分説”なのだろうか。

 ちなみに行部狸は愛媛の化け狸であり、隣県の香川や、徳島に行くとちょいとばかし事情が異なってくるのだ。香川県では地元の”禿げ狸が四国一の親分狸”とされており、うちの母方の祖母などは大の”禿げ狸サポーター”であった。また私や、知人のタキタ氏(こなき爺の発掘で知られる)は、共に徳島出身であり、やはり地元の化け狸”金長”か、”六衛門”を押したい気持ちが強い。

 要するに、地元贔屓の感情が入り、高校野球やサッカーのホームのように自分の住むエリア(或いは出身県)の妖怪を”最強””一番の親分妖怪”と信じたいという人間の心理が大きく関与しているようだ。千葉とは若干エリアがずれるかもしれないが、利根川には日本河童界随一の親分”ねねこ河童”が棲んでいる。この親分は女親分ながら、九州河童の頭目”九千坊”より上位の親分とされ、関東の河童を統括していると言われている。(しかし、現時点では九千坊とねねこが直接対決した資料は発見できず、何をもって最強なのか、誰が言い始めたのか不明である)

「利根川の昔ばなし」高塚馨 崙書房によると”ねねこ親分”の配下には関東の名だたる河童親分が名前を連ねたという。
?”赤城の忠治河童”
?”佐倉の繁三河童”
?”江戸の長兵衛河童”
?”伊豆の佐太郎河童”
?”清水の次郎長河童”
?”潮来の伊太郎河童”

などきら星のごとくスター河童が存在している。まさに河童界最強の布陣ではないか。

 だが、ここに奇妙な事が指摘された。友人で妖怪愛好家のからしま氏が
「自分は清水市出身だが次郎長河童など聞いた事がない」
というのだ。

 確かに侠客や博徒の親分の名前をもじった河童の名前ばかりであり、随分と安直なネーミングではあるが、得てして妖怪=アナーキストという構図は使用されるものであり、それ以上は深く考えてなかった。

 私の疑問が頂点に達したのは、潮来の伊太郎河童についてである。これは橋幸夫の「潮来の伊太郎」というヒット曲で知られる渡世人をモデルにしている。だがこの伊太郎とは架空の人物であり、この曲の為に作られたキャラクターなのだ。つまり、伊太郎河童は、橋幸夫のヒット曲以降に創作された妖怪である可能性が高い。

 そこで私は筆者である高塚先生に電話をし、質問してみた。するとこの配下の親分衆の名前は利根町の某氏から聞いたものであり、真偽は不明だというのだ。

 多分、利根町の人々の「ねねこ河童」に対する愛情が、多くの配下の親分衆を創り上げたのかもしれない。それはそれで良いと私は思った。地元贔屓の気持ちが地方ごとの妖怪のキャラクター構成に深みを持たせる事に成功しているなら、それはそれで”あり”だと思うのだ。

 伝聞ミスや、誇張、捏造によって妖怪は分化、進化していく、同時に妖怪は地元住民の愛情によって”最強””一番の親分”という冠をもらい、深化していく。妖怪はナマモノである。今現在の妖怪を語らねば、妖怪を捕らえる事はできないかもしれない。

ご注意:
上記の記事は、地域情報サイト「まいぷれ」で掲載されていた「千葉妖怪伝説」というコンテンツを転載したものです。記載されている内容は、当時のものですので、現在の情報とは異なる可能性があります。ご了承ください。
たまきち  投稿日時 2013/4/2 8:21
恋をしたら人間のように河童も変わるのでしょーか。
新たなる疑問…σ(^_^;)
マルコ  投稿日時 2013/3/22 12:50
北関東の伝説より引用

「祢々子河童」(ねねこかっぱ)は、関東平野を流れる利根川を根城に、関八州の全ての河童を統括していた女河童である。
女だてらに天下無双の荒くれ者だったと伝えられ、関東の外から利根川の豊かな流れを狙って集まる日本各地の荒くれ河童どもを相手に少しも退かず、一歩も関東の土を踏ませなかったと言う女傑である。九州最強の河童と謳われる「九千坊」(くせんぼう)でさえも、彼女の前には一敗地にまみえるしか無かったと言うから、その強さが伺えよう。
暴れ者の「祢々子河童」だが、その一方で仁義に溢れた一面もあったと言われ、千葉県の銚子にはこんな話が伝わっている。
利根川河口の近隣に貧しい百姓の親子があった。ある時、その家の親父さんが畑仕事の最中に足を挫き、歩けなくなってしまった。医者に診せる金など無い貧しい百姓家の事、息子が困り果てていると、ある時その息子の前に「祢々子河童」が現われ、手にした水草を差し出して言った。
「これは打ち身や挫きに効く薬草だ。これをすり潰して膏と混ぜ、湿布に塗って患部に貼り付けてやれ。そうだね、12~13枚も貼り代える内には、お前の親父さんの足の挫きもきっと治ってるだろうさ」
息子がその通りにすると、果たして親父さんの足の挫きは嘘のように完治したと言う。以来、この家では「祢々子河童」に教わった挫きの妙薬を商うようになり、大層栄えたと伝えられている。この家のあった場所は、湿布13枚で足の挫きが治った事に因み、「十三枚」と言う地名がつけられているそうだ。

「茨城県北相馬郡利根町加納新田1」にある大きな森の中の家が加納家のお屋敷です。
マルコ  投稿日時 2013/3/22 12:49
北関東の伝説より引用

「祢々子河童」(ねねこかっぱ)は、関東平野を流れる利根川を根城に、関八州の全ての河童を統括していた女河童である。
女だてらに天下無双の荒くれ者だったと伝えられ、関東の外から利根川の豊かな流れを狙って集まる日本各地の荒くれ河童どもを相手に少しも退かず、一歩も関東の土を踏ませなかったと言う女傑である。九州最強の河童と謳われる「九千坊」(くせんぼう)でさえも、彼女の前には一敗地にまみえるしか無かったと言うから、その強さが伺えよう。
暴れ者の「祢々子河童」だが、その一方で仁義に溢れた一面もあったと言われ、千葉県の銚子にはこんな話が伝わっている。
利根川河口の近隣に貧しい百姓の親子があった。ある時、その家の親父さんが畑仕事の最中に足を挫き、歩けなくなってしまった。医者に診せる金など無い貧しい百姓家の事、息子が困り果てていると、ある時その息子の前に「祢々子河童」が現われ、手にした水草を差し出して言った。
「これは打ち身や挫きに効く薬草だ。これをすり潰して膏と混ぜ、湿布に塗って患部に貼り付けてやれ。そうだね、12~13枚も貼り代える内には、お前の親父さんの足の挫きもきっと治ってるだろうさ」
息子がその通りにすると、果たして親父さんの足の挫きは嘘のように完治したと言う。以来、この家では「祢々子河童」に教わった挫きの妙薬を商うようになり、大層栄えたと伝えられている。この家のあった場所は、湿布13枚で足の挫きが治った事に因み、「十三枚」と言う地名がつけられているそうだ。

「茨城県北相馬郡利根町加納新田1」にある大きな森の中の家が加納家のお屋敷です。
マルコ  投稿日時 2013/3/22 12:36
ねねこ河童の配下の親分衆の名前は確かこんなだったと思います。

赤城の忠治河童
佐倉の繁三河童
江戸の長兵衛河童
伊豆の佐太郎河童
清水の次郎長河童
潮来の伊太郎河童

間違っていたらすいません。
ゲスト  投稿日時 2013/3/2 22:03
本で読んで知った情報です。加納新田は、寛文期(1661~1672)に美濃国岐阜町出身の加納久右衛門によって開発されました。現在もその子孫の一族の方が住んでいるみたいです・・・。
加納家には「ねねこ河童」像というのが伝えられているそうですが、その像ははすでに紛失したという話を聞きました。また、多くの問い合わせや物見客で、加納家はたいへんな迷惑をこうむったそうです。マルコが読んだ本に加納家の電話番号と住所が載っていましたけ
ど、いいんですかねぇ・・・?

ねねこ河童のラストシーンがこれまた、マルコのお気に入りでして・・・。
何か、人情のある時代劇を見ている感じがします。

「元締め・・・何故ー、逃げなかったのでござんす。」
「すばしっこい元締めが何故ー、お逃げにならなかったんです・・」
「そそそ、それはー・・・」
「それはー・・・?」
「ややややっ!その頭は・・!?」
「おおお・・っ!?」
「そうです・・・。若者に殴られた時、頭の皿は見事に割れ・・・皿の中の水は一滴残らず・・・流れ出てしまったのです。私を捕まえるために寝たふりをしていた若者に、まんまと捕まってしまったのです・・。これでお分かりでしょう・・・。皿の無い河童は、悪事が出来ません。だから・・・元締めを辞めるのです、いや・・・河童を辞めざるをえなくなりました・・・。」
「元締め、もしやその若者が好きになったのでは?!」
「!」
「その、若者は加納新田の加納家の若旦那・・・私は河童の身の上です。。命を助けて貰ったお礼に、そこで一生働く覚悟を決めてきました・・・・。」
「元締め!」
「後は皆さんに、お任せします・・・。では、皆さん・・・!」
「元締め・・・!お達者でー・・っ!!」
後に残った親分連中はただ、 あとを見送るのみじゃった。こうしてねねこ河童は丘に上がって加納家に住み着くと、そこで一生・・・働いたということじゃ。
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