むかし、富士吉田市のはずれ、小明見(こあすみ)のあたりに婆さんと孫の2人が住んでいた。孫の名前は太一(たいち)といい、働き者の孝行者であったが、馬鹿正直でちょっと間の抜けたところがあった。
ある時、太一は庄屋さんの家に日雇いの仕事に行くことになった。太一は庄屋さんの家の門をくぐり、バシャバシャと池の中を歩いて、屋敷の前までやって来た。庄屋さんが驚いて訳を尋ねると、「飯を食ったら“真っ直ぐ”庄屋様の家へ行けと婆っちゃに言われた。」と言うのだった。また、カラスが柿の実を突かないよう見張るよう言われれば、柿の実を取ったカラスを河口湖まで追いかけて行き、その間に柿の実は他のカラスに食べられてしまう。とまあ、こんな調子だった。
そんなある秋の日、太一は自分の家の畑の取り入れを早々と済ませ、庄屋さんの家の稲刈りを手伝っていた。働き者の太一のこと、夕暮れになっても刈り入れを続け、田んぼに残っているのはのは太一1人だけになった。すると、どこからか太一を呼ぶ声がする。太一が声のする方を見れば、夕日を背に天狗が立っている。天狗は、太一の日ごろの行いを褒め、自分の持つ天狗の力を太一に与えた。
それからの太一は、不思議な事を次々にやってのけた。どういう訳か京都が大火事だと知れば、京都までひとっ走りして、1昼夜のうちに戻ってきてしまうのだった。その証拠に、火の手が移りそうな御所から宝物を運び出し、御所の偉い人からお礼の小判をもらったと言って見せるのだった。
また、ある冬の日、太一は駄賃仕事を頼まれ御殿場(ごてんば)の山を越えていた。途中の峠のそば屋で昼飯を食べたのはいいが、財布をどこかに落としてしまい、そば代が払えない。そこで太一は、外に出てパンパンと手を打った。すると、何と空から小判が1枚降ってきたのだ。こうして太一は、天狗の術を使いそば代を払うと、峠をスタスタと下って行った。
それから太一がどうなったかと言うと、天狗の力を授かった後も、昔と変わらず馬鹿正直に一所懸命働き続けたということだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 12-19-2011 17:13)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 山梨県 |
DVD情報 | DVD-BOX第4集(DVD第17巻) |
場所について | 富士吉田市の小明見(地図は適当) |
本の情報 | 国際情報社BOX絵本パート2-第106巻(発刊日:1980年かも)/講談社テレビ名作えほん第070巻(発刊日:1987年2月) |
講談社の300より | 書籍によると「山梨県のお話」 |
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