No.0406
くびきりじぞう
首切り地蔵
高ヒット
放送回:0254-B  放送日:1980年09月13日(昭和55年09月13日)
演出:前田康成  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:前田康成
写真あり / 岡山県 ) 62922hit
あらすじ

昔、岡山県都窪郡庄村に、冬でも汗をかく不思議なお地蔵さまがいた。

ある年、備中一帯はひどい日照りに見舞われ、田畑もすっかり干上がってしまい、食べるものも困るありさまだった。そんな時、信心深いお婆さんが汗かき地蔵さまの声を聞いた。「わしの体を2ヵ所削って、井戸とため池に入れてくれ」
お婆さんは躊躇したが、お地蔵さんの足元から小さいカケラを削り取り、干からびた井戸とため池に入れた。すると中から大量の水があふれ出て、枯れた田にも水を引く事ができ、日照りから村は救われた。

次の年の春、撫川の戸川肥後守安宣(なつかわのとがわひごのかみやすのぶ)という殿様が、汗をかくお地蔵さまの噂を聞いた。その不思議なお地蔵さまを使って、勝手に水があふれ出る「手洗い鉢」を作ろうと思いついた。村人の必死の抵抗むなしく、お地蔵さまは殿様の家来たちに強奪され、首を切り落とし体をくりぬかれた。

ご満悦の殿様は、この手洗い鉢を諸国の大名たちに見せびらかそうと、千石船に乗せて江戸へ出発した。しかし殿様の乗った船は、玉島の港を出発し遠州灘に差し掛かった辺りで、大波にのまれて沈んでしまった。

首だけ残ったお地蔵さまは「首切り地蔵」と呼ばれ、後に殿様の子孫がお詫びのために設置した「ことわり地蔵(身代わり地蔵)」とともに、ひっそりと村の暮らしを見守っている。

(紅子 2011-10-23 3:28)


ナレーション常田富士男
出典稲田浩二(未来社刊)より
出典詳細岡山の民話(日本の民話36),稲田浩二,未来社,1964年03月15日,原題「首切り地蔵」,採録地「都窪郡庄村」,話者「吉田謙三、矢尾孝治」,採集「稲田浩二」
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場所について首切り地蔵(今も健在、2011年)
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地図:首切り地蔵(今も健在、2011年)
追加情報
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※掲載情報は 2011/10/28 22:07 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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匿名希望。  投稿日時 2013/9/8 10:52
私も昔、ストーリーを見たけど。
ラストで、おばあさんが号泣するシーンが可哀そうだった・・・。(泣)
araya  投稿日時 2011/10/29 11:00
dariaさん、画像をありがとうございます。確かに彫りが浅くて、一見のっぺらぼうですね(^_^)。汗をかいていたというから、てっきり苔むした暗い色の石材を思い浮かべていましたが、まさに百聞は一見に如かずの感です。

紅子さん、写真掲載ありがとうございます。写真掲載の欄があると、物語のリアリティが増しますね。全話の写真掲載も目指しますか!
beniko  投稿日時 2011/10/28 22:09
dariaさんから受け取りました、首切り地蔵さまの写真を掲載しました。クリックで拡大表示しますので、ご確認ください。(あらすじページの地図下に配置)
この場を借りて、dariaさんの人力調査に感謝します、ありがとうございました。
beniko  投稿日時 2011/10/26 21:37 | 最終変更
いつも紅子より一つも二つも上の豆知識(専門知識)を書き込んでもらってありがとうございます。読みながらただウンウンホゥホゥとうなずくレベルの紅子ですが、ここをアクセスしてくる人も少しずつですが増えているようですので、多くの方の参考になっていると思います。これからもよろしくお願いします。
daria  投稿日時 2011/10/26 20:42
私もわくわくして見にいきましたから楽しかったです♪

>arayaさん
写真、あるのですがUP方法が分からず、、
機会があれば是非ぜひ見てやってください!
お地蔵様のことなど、多岐に渡りお詳しいですね

>benikoさん
随分昔からあったのですね、日本昔ばなし。
よく見ていました。私ものっぺらぼうさんには
え!と声を出して驚きました。
beniko  投稿日時 2011/10/26 18:40
やっぱり汗はかいていませんでしたか。朝早くからありがとうございました。首切り地蔵さんの生存情報がわかって良かったです。このアニメの放送は昭和55年とありますので、その当時は全員そろって同じ場所にいたかもしれないですしね、お話の時代と放送時期と現在では、様子が異なるのでしょう。
わざわざ今日は朝寒かったのにご足労いただき、ありがとうございました。(のっぺらぼうだったのは意外でした)
araya  投稿日時 2011/10/26 11:26
お椀と書かれていたので、地蔵は僧形が多いから鉢もあるのかなと思ったのですが、ご飯ということは宝珠ですね。地蔵さんの持ち物は宝珠と錫杖になります。

ちなみに、六地蔵の場合は地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道をそれぞれが受け持ちますので、それに合わせて持ち物も変わります。ただ、この辺はいい加減に作られる場合が多いですから、参考までにってことで(^Д^)。

差し支えなければ、庄パークの石碑の所のは見てみたいです♪
daria  投稿日時 2011/10/26 10:47
あれは前みごろというのですね(無知です・・)
錫杖と鉢と言われてみればそうです、何でご飯

六地蔵様はおそらくその、マルナカ北で合っていると思います。
6体のお地蔵様には黒の数珠みたいなもの(名称知らず、失礼)
が体にかけられています。

もし見られたかったら写真とってきます、
うーん、のっぺらぼうさんは確かにちょっと怖いですね。
でもよくみると笑っておられるような、そんな感じです。
araya  投稿日時 2011/10/26 9:38
朝早くにお疲れ様でした(^-^)。

のっぺらぼうというのは怖いですね。いろいろな背びれ尾ひれに胸びれまでついてきそうですが、ご近所の方の話にあった「何体かおられる」というのは土草に埋もれているわけでなく、昔の話だったんでしょうか。新興住宅地になるにあたって移転されたんですかね(^_^)。

ちなみに、うちの近所には火の山という観光名所があり、戦前は麓に無縁墓が点在していたそうです。その後、公園化されるにあたり整備がなされ、斜面の墓石や仏像は一つにまとめられました。
庄パークヒルズも古墳群などがあることを考えると、宅地整備で二転三転と似たような経緯があったのかも…と思ったりです。

それと、マルマナ北の地蔵群は六地蔵様かもしれませんが、おばあさんみたいな格好のお地蔵さん、モンペは前みごろ、しゃもじは錫杖、お椀は鉢でしょうけど、造形がそそられますね♪
daria  投稿日時 2011/10/26 8:16
おはようございます。寒いですね。
早速いろいろ見てきました。

まず、昨夜お話した場所にはお地蔵様は1体だけでした。
しかし、お顔は明らかにくっつけてある感じです。
因みにお顔は目も鼻も口も何もありません。
汗はかかれておられませんでした。

arayaさんがおっしゃられていたマルナカの北にも
行ってみると・・・。
こちらには全部で10体のお地蔵様がおられました。
6体同じ形、3体は大きさが違いますがこれも同じ形、
そして一番右のお地蔵様はどうみても、あのおばあさん、
みたいなのです。というのも、着物にモンペみたいな
恰好をされておられ、更にしゃもじとお椀も持たれて
(彫られて)いるのです。これはひえええ、でした。

まとめますと、昨夜の場所に首きりお地蔵様がおられ、
10体はbenikoさまのおっしゃる通り、そこに移動?
したのかもしれません。

その10体おられる場所はマルナカの北、
整形外科がすぐそばにあるのですがそこを東に
1キロも行かない所に、フェンスの中におられます。
フェンスは横から入れました。

改めてお参りにいこうと思います。
また間違いなど書いていたらご存じの方ご指摘下さい。
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