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No.0287
あんころもちこぞう
あんころもちこぞう
高ヒット
放送回:0179-A  放送日:1979年03月31日(昭和54年03月31日)
演出:こはなわためお  文芸:沖島勲  美術:青木稔  作画:前田実
写真あり / 長野県 ) 63254hit
あんころもちが食べたい

昔、永明寺山のふもとに、ふんどし一丁の子供がいた。いつもいつも「あんころもちが食いてーなー」と言っては、おっかあに作ってもらっていた。

ところがある日の事、おっかあは年を取って死んでしまった。一人になってしまった子供は、しょんぼりと「あんころもちが食いてぇ」と泣いた。毎日毎日、「あんころもちがくいてーよー」と泣く子供のために、天国のおっかあが夢枕に立った。おっかあは「あと2回だけあんころ餅を食べさせてあげる」と約束してくれた。

朝になり目が覚めた子供は、さっそく空に向かってふんどしを投げつけた。しばらくして空からスルスルとふんどしが下りてきて、中には重箱に詰まったあんころもちが入っていた。夢中になって全部たいらげた子供は、天国のおっかあにお礼を言った。

ある日、村の見回りのために通りかかった殿様が、子供の「あんころもちが喰いてー」の声を聞いて自分も餡ころ餅が食べたくなった。子供は、お殿様のためにもう一度おっかあからあんころもちを貰おうとふんどしを投げた。「おっかあー、あんころもち、くりょー!」

随分時間がたって夕方になった頃、やっと空からあんころもちが降りてきた。そのあんころ餅があまりにもおいしすぎて、お殿様は一人で平らげてしまった。これに喜んだお殿様は、子供にたくさんの褒美を取らせた。そのおかげで、子供は一生不自由なくあんころもちを食べて暮らせたそうだ。

(紅子 2011-6-24 22:27


ナレーション常田富士男
出典長野のむかし話(日本標準刊)より
出典詳細長野のむかし話(各県のむかし話),長野県国語教育学会,日本標準,1976年10月01日,原題「あんころもちこぞう」
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場所について長野の永明寺山
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地図:長野の永明寺山
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※掲載情報は 2011/6/24 22:27 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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あんころ  投稿日時 2021/5/16 0:27
泣けます。
猫  投稿日時 2021/3/13 18:38
あんなにいっぱいあんころ餅食べたら絶対胃がもたれますよね…
でも小僧の嬉しそうな表情が印象的です。
あんころ餅がふんどしに直ではなくちゃんと重箱に入っていてよかったです(笑)
モチモチ寸(元・アーリアジャスール)  投稿日時 2018/4/15 10:26
小華和ためおさん、3年前の「あずきとぎ」から久しぶりに演出を担当。そして、この話から上の名字がひらがなになった。。因みにこの話は、2年前のR1ぐらんぷりでハリウッドザコシショウさんがネタにしていた。
マルコ  投稿日時 2014/2/18 13:45
のりくんさんの書き込みを見て日根野高吉 ひねの-たかよし について調べてみました。

http://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%A0%B9%E9%87%8E%E9%AB%98%E5%90%89

1539-1600 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)8年生まれ。日根野弘就(ひろなり)の子。豊臣秀吉につかえ,天正(てんしょう)18年(1590)小田原攻めの功により信濃(しなの)(長野県)諏訪(すわ)郡に2万7000石をあたえられる。慶長3年諏訪湖畔に高島城をきずき,城下町をつくった。のち徳川家康につかえた。慶長5年6月26日死去。62歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。

マルコ  投稿日時 2014/2/16 19:29
マルコはこのお話で市原さんと常田さんが何回「あんころもち」を言ったのか数えたところ・・・市原さんが13回の常田さんが38回でした。

これほど、「あんころもち」が登場する話は「あんころもちこぞう」以外、ほかに無いと思うので、市原悦子さんと常田富士男さんのものまねをやる時にネタにされているのはこのお話だと思います。

以下は、前回マルコが書き込みしたものです。まあ・・・いくらモノマネが上手かったとしても、本物の声の力には勝てませんが・・・。

常田富士男さんのモノマネのポイント

①魚の骨がのどに刺さったと思って吐き出そうとしてみます。すると舌の後ろ部分がのどちんこに向かって盛り上がります。(「いびき」もしくは「うがい」に似た状態です。)

②そして、ア列とオ列の音を、ささやき気味で、母音を声にしないで息だけを吐いて話します。

練習用のフレーズ

①むかァーし、むかァーしのことじゃったー・・・・。

②おらァー、びィーっくりしただァー・・・。

③雪が降っているそうだァー・・・おっかあは帰らない・・・雪が降っているそうだァー・・・・おらァ・・・あんころもちが喰いてえなァ・・・。

どっちも超有名フレーズなので、本当だったら避けたいのですが、これ以上分かりやすい、常田富士男さんはないので・・・。③のセリフは、モノマネで有名なコロッケさんが常田富士男さんのモノマネをする時に使っていたものです!!ちなみに、セリフは、わざと棒読みがいいみたいです!!

ちなみに、「ささやき」とは、「囲炉裏端で子供たちにお話をするおじいさん」の表現です。深夜なので、距離が近いので、ひそひそとささやくように出す音です。


息を吐き出すイメージでやってみたください!!寒くて手がかじかんだ時に手に息を吹きかけます。
「はぁー」です。開口度の高い母音。つまり、「ア列」の時に「ささやき」になります!!
「あ(はぁー)」「お(ほぉー)」という具合です!!
のりくん  投稿日時 2012/7/24 23:10
諏訪から茅野一帯は織田信長に滅ぼされ、
その後、秀吉の部下で尾張美濃系の武将日根野高吉が諏訪に入ってきて写真の高島城を築城しました。
ですからあんころもちこぞうに登場するお殿様は日根野高吉でほぼ間違いありません。
仮に諏訪一族の殿様であれば「美味しい」を意味する尾張ことばの「うみゃー、うみゃあ」なんて言うはずがないからです。
すくなくともまんが日本昔ばなしで今回の話を構成なさったスタッフさんは日根野高吉をモデルにしてお殿様を描いているはずです。
ちなみに日根野高吉さんが諏訪に入ってきて居住していたのは1590年?1600年までの約10年間。
つまりあんころもちこぞうが生きていた時代もこの時代だと思います。

日根野高吉さんが亡くなった後跡を継いだ方はすぐに別の藩へ異動させられていますので、

それ以降の殿様は尾張美濃系とは異なってくると考えます。
ちなみに諏訪一族は完全に滅ぼされたわけではなくていまでも諏訪市界隈には諏訪一族の名家の子孫が住んでいらっしゃいますね。
たしか、諏訪市で法律事務所を営んでいらっしゃる辯護士の諏訪先生は諏訪一族の子孫だったと思います。

現在の高島城は公園になっています。
水木しげる先生の昭和史マンガに登場する重要人物の永田鐵山も諏訪のご出身で、公園内に銅像が建てられていますよ。
マニアック  投稿日時 2011/10/21 20:54
よく、ものまね番組で、ネタにされていたなー。
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