熊本県の南に大島という離れ島があり、ここでは男たちが漁に出て暮らしを立てていた。ところが、ここ数年はさっぱり魚が取れなくなり、女たちの畑仕事でなんとか暮らしている状況だった。
そんなある日のこと、この島に一艘の船がやって来た。船に乗っていたのは肥前唐津の石工(いしく)で、この島の仁蔵(じんぞう)という人の注文で鳥居を届けに来たのだという。これを聞いた村人は首を傾げた。と言うのも、仁蔵爺さんは足腰も弱って、とても唐津へ行ったとは思えない。それに鳥居を買うお金もなかったからだ。
この仁蔵という爺さま、女房とは早くに死に別れ、子供もおらず一人暮らしだった。それでも信心深いためか寂しいとも思わず、足腰が弱っても毎日三度は高台のお社にお参りしていた。
村人は、とにかく仁蔵爺さんを呼んできたが、当の本人も頼んだ覚えがないと言う。しかし石工は、「天草の沖合い、大島の仁蔵で間違いない。代金も既に受け取っている。」と言って譲らず、立派な御影石(みかげいし)の鳥居を浜に置いて帰ってしまった。
さて、その夜のこと。仁蔵爺さんは、四十年前の嵐の悪夢を見てうなされていた。この嵐の海で、爺さまは仲間を失ったのだった。そして爺さまがハッと夢から覚めると、爺さまの枕元には乙姫様が座っていた。
乙姫様は爺さまにこう言った。「あの鳥居は、そなたの名を借りて私が注文したもの。病気や貧乏を嘆く訳でもなく、よく信心を続けたそなたへの褒美じゃ。明日、島の者達に話して社の前に建てるがよい。そうすれば幸せも舞い込むだろうし、そなたが長年気にかけている仲間への弔いにもなろう。」
翌朝、爺さまからこの話を聞いた島の者たちは、半信半疑ながらも爺さまの頼みを聞き、鳥居を山の上の社の前に建てた。
するとどうだろう、次の日漁に出ると久々の大漁。それ以降も島は海の幸に恵まれ、暮らしもだいぶ楽になった。そして、島の者はいつまでも仁蔵爺さんに感謝の念を忘れなかったということだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2013-6-15 11:49)
ナレーション | 常田富士男 |
出典 | 浜名志松(未来社刊)より |
出典詳細 | 天草の民話(日本の民話47),浜名志松,未来社,1970年03月20日,原題「鳥居を持ってきた乙姫様」,採録地「牛深市大島」,話者「矢田丈作」 |
場所について | 熊本の大島(地図は適当) |
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