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伏見へ行ったおじいキツネ(ふしみへいったおじいきつね)

放送回No.0270(0168-A)
放送日1979年01月13日(昭和54年01月13日)
出典二反長半(未来社刊)より
クレジット演出:藤原万秀 文芸:沖島勲 美術:くぼたかし 作画:藤原万秀
ナレーション市原悦子

あらすじ

昔、丹波の山奥に門太夫屋敷というそれは大きなお屋敷がありました。この屋敷には、南に小さな通用門と東の正面にそれは立派な大きな御門があって、それは特別な理由がない限りは使われない御門でした。

そんなお屋敷に当主の先代と先々代の時から使えている「おじい」がおりました。不思議なことに誰もこのおじいが一体何歳なのか、どこから来ているのか全く知りませんでした。しかし、おじいは不思議な薬や方法で屋敷の人々を助けるので、皆そんな事は気にせず、おじいを頼り、大切にしておりました。

ある時、真夜中に伏見の山のほうに沢山の狐火が見えました。その次の朝、おじいは突然に門太夫に「大事な用ができたので」と暇を願い出ました。門太夫も屋敷の者も皆が驚いて、行かないで欲しいと説得しましたが、おじいの決意は固いようでした。

狐火が現れ始めてついに7日目、おじいは「明日には旅立たねばならない」と言い、「最後に出て行く時には東の御門を使わせて欲しい」と申し出ました。東の御門は身分の高い者か結婚式かお葬式などの特別な時にしか使わない門です。ですが、門太夫は長い間仕えてくれたおじいの願いなので、快く承知しました。

そして次の日の朝、東の御門が開かれると、そこには立派な駕籠と、立派な身なりの侍達が大勢控えていました。屋敷の者が呆気にとられているなか、おじいは悠然とその駕籠になると、名残惜しそうに屋敷を去っていきました。

おじいを乗せた行列が動き出すと、天気雨が降り出しました。屋敷の者が口々に「キツネ雨じゃ」というのを聞いて、門太夫は「もしかしたら、おじいは伏見のお狐様でお供の者は従一位の稲荷様だったのかもしれん」と思いました。

おじいが伏見のお狐様だったのか、それはもう確かめる術はありませんが、それから、屋敷に何かあると決まって伏見方面の山に沢山の狐火が見えるようになったということです。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-6-29 0:05 )


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